「アイーシャとの再会」

7. June, 2008 • 0 Comments

ガザにある難民キャンプを支援しているイスラエル人女性の話でちょっと心に残るものがあったのでご紹介します(元記事)。


ヤエル・カーンは、パレスチナ人に対するイスラエルの政策に同意できず、1991年にテルアビブからロンドンに移住したイスラエル人です。

ヤエルは「イビナの友イスリントンの会」というグループを立ち上げました。1948年にイビナ村から逃げてガザの難民キャンプに住むパレスチナ人を支援するためです。

今年1月、エジプト国境のフェンスが引き倒されたとき、ヤエルはガザを訪ねました。なぜ訪ねようと思ったのか、そこでどんな経験をしたかをヤエルが話してくれました。

「ガザに行きたかったのは、私が始めたグループの活動を通して知っている人たちがいて、どうしているか心配だったからです。テルアビブに住んでいたとき、1988年から1991年の第一次インティファーダの間は頻繁にガザを訪ねていました。パレスチナ人女性の囚人を支援していたからです。

当時、何人かの並外れて強い女性に出会いました。最初に助けたのは、アイーシャ・アルクルドという女性でした。彼女は5人目の子どもを身ごもっている時に収監されました。

国境フェンスが倒されたと聞いて、ガザに入るまたとない機会だと思ったのです。水曜日にフェンスが壊されて、木曜日には私はカイロに入っていました。イギリスのパスポートで旅行しました。イスラエルのパスポートは有効期限が切れたとき、更新しませんでした。

ガザまで40kmの距離にあるシナイのアル・アリシュまではチャイルート(大きな乗り合いタクシー)を使いました。

旅行中はひどく行動を制限されました。私はアラビア語が少しはできるのですが、もしアラビア語で喋ったらバスをおろされるだろうと思いました。たくさんの検問があり、ガザに入れたくない人々をエジプトの警官がバスから降ろしていました。

アル・アリシュでチャイルートから下車したとき、私の他にはたった一人、20代のパレスチナ人の男性しか残っていませんでした。彼はガザ南部のラファに行こうとしていました。その時になって初めて言葉を交わして、彼は少しショックを受けていました。

彼はそれまでイスラエル人に会ったことがなかったのです。そのことは、彼が言う前から、私には分かりました。

なぜ私がガザに行こうとしているかを知って、彼はとても喜びました!それからというもの、彼はいつも私を守ろうとするようになりました。ラファまで一緒に乗るタクシーの代金も払わせてくれませんでした。

国境には何千人もの人がいました。ガザから車両が出るのが許された最初の日だったので、大渋滞になっていました。

そこで私たちはタクシーを降りて、歩いてガザに入ることにしました。私たちは一緒に壁を越えました。人々があれほど長い間封じ込められていたところへ、私たちは歩いて入ったのです。感情が高ぶるのを覚えました。

彼はガザに家族がいて、5年間会っていないということでした。私をガザのあちこちへ案内したがったのですが、私はラファでの彼の時間を無駄にしたくなくて、議論の末にやっと彼は私と別れることを承知しました。

そうして、私は一人、ラファの街角に立ったのです。

ラファはすっかり変わっていました。最後に来たのは1991年でした。多くの建物が再建され、4階建て、5階建ての、見た目のよい家々もできていました。しかしまた、たくさんの建物が破壊されてもいました。

私は周囲から浮いた姿で歩き回っていました。他に頭をベールで隠していない女性はいませんでしたし、一人で行動していたからです。でも、町の人たちはとても親切でした。

私がイスラエル人であるということは分かるようでした。ヘブライ語で話しかけてくるのです。「何か探しているの?」などと、別に何も含むところなく。なぜ分かるのか、私には分かりませんでした。イスラエルを離れて何年も経ちますし。きっと仕草などで分かるのでしょう。

町の人たちに話しかけると、パレスチナ人がよくするように、彼らは家に招いてくれました。そして、プロジェクトのことを話す中で私がイスラエル人であることがはっきりして、彼らはますます強く私に関心を持つのでした。

第一次インティファーダの時には、パレスチナ人は何かしらのイスラエル人との繋がりを持っていたものでした。しかし今は若い人たちはイスラエル人とは全く接触を持っていません。第一次インティファーダの頃にはあったような自然さがなく、当時に比べると私に対して不安をもたれていることが感じられました。でも、彼らは友好的でした。

アイーシャについて尋ねてみました。私は1991年から連絡を取っていなかったことを告白しなければなりません。

当時、彼女は収監されていて、同じく牢に入っていた夫はとても心配していました。彼女は、全く何の罪状もなしに、収監されていました。出産のときに病院に移され、私たちは何とか病院からそのまま解放させることができたのでした。

彼女の名前を出して尋ねてみました。知っている人がいるのは期待せずに。ところが!みんな知っていたのです。明らかに彼女はとても有名で人気がある様子でした。

アイーシャの母の家に連れて行かれました。お母さんはすぐに私のことを分かってくれて、まるでずっと行方知らずだった親戚が家に帰ってきたかのように迎えられました。

私が来たことを聞いて、アイーシャはすぐに家に戻ってきました。再会できて感激でした。17年ぶりです。その日、壁の上にアイーシャと一緒に立ったひとときが、最も素晴らしい時間でした。

そのとき、彼女の夫のことも聞きました。彼は、監獄から解放されて1年も経たない内に、イスラエルの兵士に暗殺されていました。

ガザには3泊4日、滞在しました。最初の夜は、アイーシャのところで、一緒のベッドで寝ました。あとは、イビナ難民キャンプの人々と過ごしました。

アイーシャの家族は元々はパレスチナの村イビナの出身でした。私も同じ地方のクファール・モルデカイで育ちました。

私のグループの姉妹コミュニティとしてイビナを選んだのは、私の人生はイビナの破壊の上に建てられていると感じているからです。

この旅行で、グループの活動に少し弾みが付きました。戻ってからはずっとアイーシャと連絡を取り続けています。」

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