デ・ラ・トーレの「闘争の神学」

3. January, 2011 • 0 Comments

『フィリピン民衆の解放とキリスト者』(エディシオ・デ・ラ・トーレ, 教文館, 1986)の要点と思われる箇所の抜粋を作りました。政治的見解はともかくとして、聖餐論は真実を突いているように思いました。

エディシオ・デ・ラ・トーレ:1943年、ミンドロ島で生まれる。1969年に神言会修道会の会員として司祭叙階を受ける。神言会の神 学院で教えながら、民族解放闘争の指導者として活躍。民族民主戦線(NDF)の準備委員会メンバーを務める。1974-1980年および1982-1986年の二回にわたって獄中生活を送る。その後、政治的殺害の標的にされていたために4年半をヨーロッパで過ごす。1992年に帰国して「いのちのための教育」基金を設立。エストラーダ大統領のもとでは職業技術訓練・学校開発庁の長官を務めて、論議を呼んだ。


『フィリピン民衆の解放とキリスト者’”‘獄中からのメッセージ』(訳:フィリピンのキリスト者に連帯する会, 教文館, 1986)所収のテクスト(1971-1985)から、開発独裁との対決の中で形成されたデ・ラ・トーレ神父の神学の要点と思われた箇所を抜粋する。

◆ デ・ラ・トーレの神学は受肉論を基礎にして展開された。

「『民族主義者であるキリスト者』は、彼らの民族主義に関し、充分かつ確固とした神学的基礎を、特に中心的教義である受肉に関して見いだした。」(p.36)

神は受肉されることにおいて、限界づけを受け容れられた。限界づけを受け容れるとは、立場を取ることを意味する。「批判するだけでなく違った在り方を選択すること」、「道徳的意見を述べることに安住せず政治的選択をすること」を意味する。

「キリストが受け容れたことを、私たちも受け容れることによって、それを私たちは徹底して受肉しなければならない。つまり、特定の階級と、人民の具体的な闘いに受肉を限定することを受け容れることによって。」(p.70)

◆ ただし、その闘いにおいて、キリスト者は自らを「革命の僕」として規定するべきである。

「(私たちキリスト者が、革命を)指揮ないし指導できるとは思えない。私たちは、ただ、それを認識し、協力し、逸脱を批判する程度である。『自分の生命を失う者は、それを救うであろう。あなたがたの間でかしらになりたいものは、すべての人の僕とならねばならない』という、信仰の逆説的な意味を、自分たちとは『異なる人々や異なる言葉』との共闘の中に見いだすよう希望するのである。」(p.56)

また、「解放に向けてのキリスト教のメッセージとその力量の再発見」も必要である。

「典礼と教会全般の解放とを我々が真剣に考えなければならないのは、このためである。時に我々は、教会を魂の抜けた白く塗られた墓、空の墓穴、もはや関係のない古い秩序の遺物として単純に告発しなければならないが、同時にまた急進的なキリスト者の組織化を助け、神学と教会の内部で文化的な革命に着手する『民衆民主主義的教会』建設の任務をも負っているのである。」(p.53)

デ・ラ・トーレは、霊性が養われる共同体の必要も論じた。「私たちのほとんどは、霊的あるいは内的な生活と呼びうるものを持っていないのではないかと危慎します。私たちは祈り、自分自身を取り戻すことを、もっと真剣に考えなければなりません。それをやらないと、私たちは外的な活動に縛られ過ぎて、硬直した奴隷のようになってしまうでしょう。霊的生活を持っていれば、私たちは自分が誰であり、どこにおり、何であるかを知っているということです。」(p.170)

◆ 聖餐は、次のように見直された。

「聖餐についての、人々を統一させる理解とは、どのようなものでしょうか。私たちはまず次の事実から出発しました。それは、キリストとその弟子たちが祝った最初の聖晩餐は、キリストが逮捕されるその夜に起こったということです。最初のミサは逮捕に先立つ経験でした。私たちはふだん聖餐をこういう仕方で考えることがありません。その場合には、私たちが散らされる直前の集まりから、意味の最後の一滴を汲み尽くそうと、どんなに真剣に努力するか、想像できるでしょうか。」(p.99)

これは、最後の晩餐の場面のみならず、ローマ帝国から教会が迫害を受けていた時代を思い起こさせる指摘である。古代教会では、迫害が止んで教会に戻ってきた人々の受容をめぐって議論があったが、キプリアヌスは、再び迫害が起こりそうな状況になったとき、迫害に耐える励ましのため、コミュニオン(聖餐)への回復を許したのだった。

そして、デ・ラ・トーレは、実際の闘いの経験を通して獲得した洞察によって、「記念(想起)すること」が本来持っていたはずの意味に光を当てた。

「キリストは、最後の晩餐において、『あなたがたはこれらのことをするとき、私を思い起こしなさい(= 記念しなさい)』と言いました。私たちは何のために闘ったのかを思い起こすべきであります。思い起こすとは、忘れることを前提にしているからです。思い起こすということは、弱さと危機の事実を忘れるということ、外的な力あるいは自分の弱さのゆえにばらばらにされ散らされる集団を再び集めるということを、前提としています。」(p.101)

「私たちは、約束することと忘れること、想起することとまたもや忘れること、しかし思い起こすことの反復を通して、生きることを学ぶべきであります。あるいは、集まり、散らされ、また集団を成すことを通して、と言ってもよい。」(p.102)

「ミサは、弱さに備えるものなのです。それは想起の時であり、弱さや忘却や離散との時と交差するのです。ミサが要求すること、それは常に互いに新しく出会い直すためであり、誓いを新たになすためであり、そして古い友人や古くからつきあいのあるグループに、たとえ彼らには弱さがあったとしても、一緒にやっていくためなのであって、新しい友人を探すためのものではありません。今は、記憶することをしない時です。あらゆる攻撃を撃破できるほど十分に強力なグループは、今、存在しません。皆、記憶の外に追いやられるのです。しかし、強さの時はやがて来ます。」(p.164)

◆ この聖餐論は、デ・ラ・トーレが暴力を推奨したとする批判への答えにもなっている。

「今こそ私たちは、分断され、思い起こし、忘れ去り、そして思い起こす時なのです。それによってのみ私たちは鍛えられます。そして私たちが十分に鍛えぬかれていれば、攻撃を受けても、解体するのは攻撃してくるなのです。」(p.197)

1992年以後のデ・ラ・トーレの姿からは毛沢東主義を奉じていた時代が想像しにくいが、神学的発言を見ると、案外と姿勢は変化していないのではないかと思わされた。

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