米国長老教会への一言と、イスラエル・パレスチナにおける正義への道程

21. July, 2012 • 0 Comments

2012/7/18 リファット・オーデ・カシス(カイロス・パレスチナ)

イスラエルの不法な占領によって利益を得ている特定の企業からの投資引き上げに関して、ピッツバーグでの総会で米国長老教会(PCUSA)が下した決定は、人によって全く異なる受け取り方をされています。教会内の正義派の敗北と見る人もいれば、双方の勝利と見る人もいます。票は333対331でした。わずかな差でしたから、どちらの側も勝利したと言うことができるのです。

この割合によって米国長老教会は二つの対等な陣営に分かたれます。多くの重要な問題に関して彼らは合意してきました。例えば、最近では、彼らは入植地からのイスラエル製品をボイコットしました。しかし、投資引き上げに関する決議は、パレスチナとイスラエルにおける正義の定義をめぐって彼らを分裂させるのです。

私がどう見るかと言えば、私は総会における第一義的な勝利者は正義そのものであったと信じます。

教会の一致の重要性に異論を唱える人はいないでしょう。どの教会でも、それぞれの国際的、地域的なエキュメニカルな組織でも、教会の一致は最重要課題とされています。皆、聖句「同じ思いとなり、同じ愛を抱き、心を合わせ、思いを一つにして、わたしの喜びを満たしてください」(フィリピの信徒への手紙2:2)に従っています。私は全ての教会の一致のために祈りますが、米国長老教会の一致のためにも祈ります。この決議を行った今、正義のための働きがますます強められますように、とも祈ります。

私は、投資引き上げに関して分かたれていることが明らかになった両者が、パレスチナとイスラエルにおける正義を伴った平和のために誠意を持って善意によって行動していると真摯に信じています。問題は、私の見るところ、現地の状況の理解の深さにおいて異なっていることにあります。シオニストの圧力団体やキリスト教右派からの多大な脅迫の数々に耐える力においても異なっています。そして、詰まるところ、私たちの地域における平和のために提起しているものにおいて異なっているのです。

投資引き上げの決議案を出した「少数派」は、紛争状態にある二つの側が対等ではないという事実に基づいて明確な提案を作り出しました。イスラエルは強者であり、組織的にその意志を弱者に強いています。少数派は、平和的な解決のための時間がもうほとんど残っておらず、戦争の陣太鼓が彼らの声よりも大きく鳴り響いていることも知っています。1991年に「平和交渉」が始まったとき、西岸地区には7万人のユダヤ人入植者がいました。彼らの多くは、平和が実現したらイスラエル領に喜んで戻る意志を示していました。今日、同じ場所に60万人の入植者が住んでいます。彼らは以前の入植者たちと比べて、もっと急進的で、好戦的です。彼らは入植運動を率いているだけではありません。イスラエルの国家全体を動かしています。

平和のための条件は悪化しているのです。もう時間がないのです。米国長老教会の少数派の人々はこのことを理解しています。紛争当事者の双方を見て、もう時間が残されていないことを知っているのです。パレスチナ人は彼らに言います。もう子どもたちが家を建て、畑を耕す土地がないと。このまま入植地と分離壁の建設のためにオリーブの木が倒され続けたら、平和が来たときにイスラエル人に差し出すための枝も残っていないだろうと。意識のあるイスラエル人は彼らに言います。占領はイスラエルの人々を堕落させたと。イスラエルの社会は極右の方へ急速に向かい、左派と右派の区別は曖昧になっています。多くのイスラエル人は彼らに言います。自分たちは貧しくなっていると。政府は西岸地区に入植地を建設することばかりを言い、テルアヴィヴや他の町々での失業問題や住宅問題を無視しています。これらの意識あるイスラエル人は彼らに言います。パレスチナ人に対する政府や社会のやり方は恥ずべきものであると。アフリカからの移民問題のような非政治的な問題への対処の仕方さえも恥ずべきものになっていると。移民に対して病院での診療も認めないのです。これらのイスラエル人は彼らに言います。外交的な平和だけが脅かされているのではなく、彼ら自身の価値観、原則、人権と民主主義に関する信念が脅かされているのだと。

米国長老教会の少数派は、こうした急を要する厳しい現実に基づき、倫理と国際法や国連決議等の国際的正当性に鑑みて、提案を作ったのです。彼らは、平和が勝利を収めるためには、イスラエルとその支持者たちに対して経済的な圧力が必要であると理解しています。

対照的に「多数派」の人々は明確な提案を持っていませんでした。彼らの議論は曖昧な言い分に基づいています。「双方が状況の悪化について責任がある」とか、「双方が共に席について平和的な解決に達するまで話し合わなければならない」等と主張されたのです。イスラエルの平和活動家ユーリ・アヴネリがかつて言ったように、彼らは、ネズミに猫の隣に座らせ、夕食に何を食べるかを話し合わせたいのです。彼らは問います。何故、中東の多くの国が恒常的に人権侵害を犯しているのに、イスラエルだけがやり玉に挙げられて批判されるのかと。米国やその他の国々のユダヤ人コミュニティとの関係について、彼らは懸念を口にします。米国長老教会がその承認なくして何であれ行うならば、関係が損なわれるのではないかと。その上、彼らは、シオニストの活動家たちが組織しているユダヤ人コミュニティとの関係に懸念を集中しています。イスラエルはパレスチナへの抑圧をやめて国際法のもとで守るべきことを尊重するよう圧力をかけられなければならないという、他のユダヤ人の声、イスラエル内外からの声を聞いていないのです。

多数派はパレスチナ人に応えていません。イスラエル人がパレスチナ人に向き合い、他者の存在を認めながら生きる在り方に同意するまで、パレスチナ人は何をすればよいのか?いつまで待てばよいのか?多数派は分かっていません。米国を含めたあらゆる国々に広く受けいれられている二国家解決案が実行可能な可能性として消滅しかけていることを。直にパレスチナ人が子どものために何かを建てるような土地は全くなくなります。天幕を張る土地さえなくなります。多数派はイスラエルを「やり玉に挙げる」という表現で正確には何を云おうとしているのかを明らかにできていません。イスラエルは人権侵害を犯しているが、人権侵害のみを取りあげることは拒絶する、ということなのか?中東の多くの国が人権侵害国であるから、イスラエルだけが批判されるべきではない、ということなのか?また、多数派は、「建設的な投資」がいかにして中東に平和をもたらすのかということも、明らかにできていません。

この最後の点はとても重要です。投資引き上げに反対の陣営は言います。もし「関わり」を持ち、占領されたパレスチナ領に投資するなら、事態は改善するだろうと。私には、この議論は、パレスチナ人の囚われているカゴを見栄え良く、住み心地よくするという話に等しく思われます。この議論は、人間は決してカゴの中で暮らすべきでない、全てのカゴは醜いものだ、という点を見逃しています。また、占領されたパレスチナ領へのいかなる投資も、すべて、イスラエルを支配的な経済大国にするのを助けるだけである、ということも分かっていません。「占領されたパレスチナ領への建設的投資」は、消極的に占領を認め、占領を費用のかからず、利益のあがるものにして、具体的に占領を永続化させるのです。

投資引き上げの否決によって、米国長老教会はユダヤ人コミュニティのひとつの部分、占領を存続させたい人々、シオニストたちとの関係は保つことができるかもしれません。しかし、同じユダヤ人コミュニティの中の他の人々、占領をやめろと声を上げている人々を満足させることはできません。そして、正義に立った持続する平和を実現するのに、パレスチナとイスラエルに住む誰の助けにもなりません。占領している者の助けにも占領されている者の助けにもなりません。

私は、米国長老教会は総会において、双方の議論とは関係なく、途方もなく大きな勇気を見せた、ということを言いたい。この話題が分裂をもたらしうること、もたらすであろうことを知りながら、取りあげたのですから。彼らは、支払わねばならない代価にもかかわらず、世界平和への呼びかけに対して責任感と献身を示したのです。彼らは他の教会に倣うべき範を示しました。正義に関する事柄での分裂は許されることであり、大切であるという範を示したのです。言葉を換えて言えば、正義とは我々が分裂するに値する問題だということです。「あなたがたの間で、だれが適格者かはっきりするためには、仲間争いも必ず避けられません。」(Ⅰコリ11:19)(※ 原文では神的必然を表すデイで言われており、「避けられないかもしれません」という新共同訳の訳は誤り。)

何よりも、米国長老教会は、公会に、もうひとつ倣うべき範を与えました。正義は一致の前に来る、という範を。そうすることによって、彼らは総会での成り行きを見守った全ての人々、パレスチナ人をはじめとする人々の尊敬を勝ち取ったのです。まことに、「人よ、何が善であり、主が何をお前に求めておられるかは、お前に告げられている。正義を行い、慈しみを愛し、へりくだって神と共に歩むこと、これである」(ミカ書6:8)のです。

この意味で、私は先に、米国長老教会総会の第一義的な勝利者は正義であった、と書いたのです。私は、パレスチナ人も勝利者となったと信じています。331人から強い友情と支持を得たのですから。333人にも耳を傾けてもらえたのですから。彼らは背景にある問題と、パレスチナ人が語ることを、より理解するようになったでしょう。イスラエルの入植地で作られた製品の完全なボイコットが決議されたことは、彼らのイスラエルヘの支持が条件付きであることを示しています。何も分からないままに支持しているのでも、絶対的な支持を与えているのでもないのです。

多数派の人々は占領されたパレスチナ領でのイスラエルの慣行の大きな変化を期待しているかもしれません。パレスチナに来て私たちを訪ねるよう、私は彼らを招きたい。あたたかく歓待し、現場の純粋なる現実をお見せしましょう。その正義への献身ゆえに、彼らは必ず見て変わることでしょう。

最後に、米国長老教会の両方の側の人々のために祈ります。331人のために祈ります。信仰のために、また抱いている価値観のために、彼らが闘い続けるための力を神が与えてくださるようにと。333人のためにも祈ります。神が彼らの目を開き、これまで見ることができないでいたことを見られますようにと。現場に来て実在する真実を見ようとする意欲を彼らがもっと持ちますようにと。私たち、イスラエル人とパレスチナ人を各々の置かれている文脈と現実において見ますようにと。そして、神が彼らに知恵を与え、私たちが再び戦争と流血の中に陥ることを避けることができるように、明確で、大胆で、平和的な取り組みを見いだすことができますようにと。

どうか、神が、私たち全てに、真実を見て行動する勇気を与えてくださいますように。

※原文:http://www.alternativenews.org/english/index.php/news/opinion/4828-a-word-to-pcusa-and-the-course-of-justice.html

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