礼拝覚書(34) 懺悔(2)

15. 12月, 2019 • 0 Comments

聖餐式の「懺悔」(170頁)は、とても簡潔です。沈黙するように、というルブリックの指示もありませんし、機械的に言葉を唱えるだけ、ということになってはいないでしょうか。それでは赦罪の言葉が響くこともないでしょう。

聖餐式のルブリックには(160頁)、そこで「わたしたちは聖餐を行うときは砕けた魂と悔い改めをもって懺悔する」とありますが、たとえゆっくり唱えたとしても、その間に罪を究明し、それを痛悔し、改めることを決心する、ということは、できることではありません。前祈祷書の聖餐式冒頭の「勧告」にあったように、個々の生活を省みる懺悔は、聖餐式の前に為しておくべきことなのです。その心で礼拝に臨む時、礼拝の祈りの言葉を唱え、聖歌を歌い、朗読・説教を聴く内に、光がさしこみ、光につつまれ、悔い改めの心に導かれて、簡潔な懺悔の祈りの言葉を実感をもって唱えることができるようになります。赦罪の言葉から力を受け、喜びをもって聖餐にあずかることができるようになります。

罪の究明は、礼拝が始まる30~15分前に来て行っている方もおられるでしょう。公認の祈祷書とは別に、その内容を信徒の実生活に近づけることを目的として1955年に発行された『おれむす』という小祈祷書には、ご聖体を拝領する前日の夕の祈りで用いる「拝領準備の祈り」があります。その核心部分は以下の通りです(前後省略)。

( 詩130篇を唱え、次のように聖霊の導きを祈る)
主よ。聖霊のみ光をもってわが心を照らし、凡ての罪を示し給え。アーメン

( 暫く黙想して、「究明表」を用いるなどして、自分のしたこと、言ったこと、また思ったことを考えてのち)
憐れみ深い父よ。我は…(ここで自分の犯した罪を思い出す)…これ等の罪及びいま記憶せざる罪を悲しみ、懺悔し奉る。願わくは主イエス・キリストの功によりてわが罪を赦し、悔い改めの心を堅うし、再び罪に陥ることなからしめ給え。アーメン

『おれむす』には、夕の祈りで用いる短い究明表、告悔式(個人懺悔)で用いる長い究明表があります。例えば、「無礼なことをした。恩を被った人に感謝しなかった。他人のあらさがしをし、また悪口を言った。悪意や恨みを持った。挑戦的に他人を批判し、皮肉を交えた。」等々。究明表が用いられなくなってきたのは、罪を「関係」においてでなく「行為」において捉える傾向を強めてしまうというような反省があったのかもしれません。しかし、究明表の使用が勧められなくなるのに従って懺悔そのものまで行われなくなってきたということはないでしょうか。

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