礼拝覚書(27) 説教(2)

25. 10月, 2019 • 0 Comments

「説教」は、聖書では以下のような複数の異なる意味合いの語で言い表されています。

○預言する:使徒書簡では「預言」という言葉が、神から霊感を受けて、宣言する、説教する、説明する、という意味でしばしば使われています。 この人(“例の七人の一人である福音宣教者”フィリポ)には預言する四人の娘がいた。」(使徒言行録21:9)

○証しする(マルチュレオー):生き方/人生そのものから言葉を発することです。プロテスタント教会では「証し」が「神からいただいたと感じる恵みや導きを語ること」と理解され、しばしば証しとして「特別な経験」が語られます。超教派の集い等で聖公会の信徒が「証し」に対して違和感を持つのは、そういうプロテスタント教会の特殊な文化に対してであろうと思います。本来、証しとは、信仰者として生きる中で発する言葉のことを言います。それ故、信仰者としての生き様そのものを意味するようになり、この語から殉教を意味する語が派生しました。「この人(洗礼者ヨハネ)は証しのために来た。光について証しをするため、また、すべての人が彼によって信じるものとなるためである。」(ヨハネ1:6)「私(パウロ)は今日まで神の助けをいただいて、しっかりと立ち、小さな者にも大きな者にも証しをしてきました」(使徒言行録26:22)

○宣言する(ケーリュッソー (名)ケリュグマ):神の救済の出来事を宣言すること。十字架につけられたキリストを宣べ伝えること(Ⅰコリ1:23)。それ故、「宣べ伝える」ということは、ただ神の戒めを列挙することではなく、宣べ伝える者と聞く者とを能動的な実行の中に引き入れる出来事となります。

○教える(ディダスコー (名)ディダケー):キリスト教信仰を説明すること、キリスト教的生活や考えについて説くこと。「あなたがたが説いているこの新しい<教え>がどんなものか、知らせてもらえないか」(使徒言行録17:19)「彼らは、使徒の<教え>、相互の交わり、パンを裂くこと、祈ることに熱心であった」(使徒言行録2:42)

○勧める(パラカレオー (名)パラクレーシス):「彼をそちらに送るのは、あなたがたがわたしたちの様子を知り、彼から心に<励ましを得る>ためなのです」(エフェソの信徒への手紙6:22)、「<勧告をし>、これこそ神のまことの恵みであることを証ししました」(ペトロの手紙Ⅰ5:12)「侮辱されては祝福し、迫害されては耐え忍び、ののしられては優しい言葉を返しています。…そこで、あなたがたに<勧めます>。わたしに倣う者になりなさい」(コリントの信徒への手紙Ⅰ4:16)

「説教」は(「勧話」も)すべて預言であり、証しに基礎づけられ、宣言、教え、勧めとして語られるもの、と言えるかと思います。

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