礼拝覚書(18) 礼(2)

25. 8月, 2019 • 0 Comments

現在、聖公会で行われている<礼>の動作は主に2つで、(1) 頭だけ軽くさげるお辞儀、(2) 腰から上体を曲げるお辞儀、があります。

(1) 頭だけ軽くさげるお辞儀:手を合わせ、上体はそのままにして軽く頭を下げる礼です。聖堂の中央を横切る時、イエスの名を口にする時、「栄光は父と子と聖霊に」と唱える時、また互いに対して、この礼をします。

(2) 腰から上体を曲げるお辞儀:手を合わせ、上体を45度ほど曲げてする礼です。跪拝(ジェヌフレクション)がそのより伝統的な形です。跪拝は背を伸ばしたまま右ひざを床につくまで曲げます。受肉されたキリストに対して(信経のその部分を唱える時)、サクラメントに臨在されるキリストに対して(陪餐のため中央の通路に出た時、祭壇の上に置かれたご聖体に向かって)、聖堂に入るとき、出るときに祭壇に向かって行います。(本以外の)何かを手に持っている時には、あたまをさげるお辞儀に替えます。

ユダヤ教やイスラム教では神以外に対するお辞儀は禁止されています。人間に向かってはお辞儀をしません。キリスト教でも根本における理解は同じでしょう。しかし、神の受肉、聖霊の働きを信じるゆえに、互いの中にもおられる神に対してお辞儀をするのです。それは、西方キリスト教の修道院の基礎となった聖ベネディクトの戒律(540年)で教えられている通りです。

「修道院を訪ねてくる来客はすべて、キリストとして迎え入れなければなりません。…そこで来客の報せをうけたならば、長上と修友たちは、愛の要求するすべての礼を尽くして、その者を迎え入れなければなりません。まず一緒に祈り、こうして平和のうちに挨拶を交わします。…挨拶をするにあたって、訪ねて来る者あるいは辞去する者すべてに対して、心から謙遜な態度を示します。すなわち、頭を垂れ、あるいは地面に全身を伏して、来客のうちにキリストを迎えまた礼拝しなければなりません。」(53:1-7)

ちなみに、日本で一般に行われているお辞儀は、南アジアから仏教と共に伝えられ、それが日常の暮らしにも入ったという説と、飛鳥時代から奈良時代に中国の礼法を取り入れたという説があります。前者であれば、人に対するお辞儀は、すべての人が持つ仏の心に対する敬意から、ということになるでしょうか。後者であれば、自分の首を相手に差し出して、自分が相手に対して無抵抗であることを表現したことが由来ということになります。ただし、中国ではお辞儀という動作は一般的ではないということです。

Leave a comment