礼拝覚書(16) 十字を切る (3)

31. 7月, 2019 • 0 Comments


十字をしるす時、「父と子と聖霊のみ名によって」と唱えます。この「十字の祈り」は、心で唱えることも、声に出して唱えることもあります。

左手を軽く開いて胸の少し下に置き、軽く開いた右手の中指を額に当てて「父と」唱え、そこから胸の下までおろして「子と」唱え、その手を左肩から右肩にひくときに「聖霊のみ名によって」と唱え、両手を胸の前に合わせて「アーメン」と唱えます

※ 最後に、手を胸に持って行く形、指先を唇に持って行く形もあります。早く小さく手を動かすのでなく、ゆっくり大きく手を動かすようにします。

この十字のしるしと祈りは、聖堂の出入りのときに、礼拝の始まりと終わり、及び前回書いたような箇所で、また、日常生活の中で、祈りをささげる前後に(特に自分の言葉で祈るとき)、起床就寝時、食事のとき、家を出るとき、そして生涯最後のときに唱えられてきました。

「一歩毎に。一動作毎に。入る時、出る時。服を着る時、靴を履く時。入浴の時。食卓につく時。明かりをつける時。横になる時、座る時。日々のすべての行動で、わたしたちは額に十字をしるす」とまで、テルトゥリアヌス(c.200)は述べています。

晴佐久昌英神父は著書『十字を切る』(女子パウロ会, 2012)で、次のように書かれています。

「十字の祈りは、ひと言で言えば神と人を結ぶ祈りです。正確に言うと、神と人がすでに愛の内に結ばれていることに目覚める祈りです。…十字の祈りは、天と地を結ぶ祈りです。すなわち、永遠なる“天の救い”に目覚めて、この世にありながら天を生きるという“地の救い”をもたらす祈りです。」

「<み名によって>は、<その中に入る>とか<一つに交わる>という意味です。つまり、十字を切るとは、<神の愛の中に入る><神の愛と一つに交わる>ということです。正確に言うなら、十字を切って、<わたしは今、神の愛の中にいる><わたしは神と一つある>ことを受け入れ、信じ、救われます。人間にとって、神の愛の中に入り神と一つに交わることこそ生きる目的ですから、十字を切ること自体がすでに救いなのです。」

「あたかもさまざまな祈りの初めと終わりに付け加える決まり文句程度に思われがちですが、実はこの祈り自体が祈りの一つの完成形であり、至高の祈りなので、これだけでも十分な祈りです。教会の大切な典礼や、人生の重要な局面で必ず十字が切られるのは、そのためです。十字の祈りは、普遍的で本質的、完全な祈りなのです。」

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