礼拝覚書(15) 十字を切る (2)

23. 7月, 2019 • 0 Comments

『公会の慣習とシンボル』(聖ヨハネ修士会, 1962)は次のように教えます。

「聖堂の入口に聖水が置いてある教会もあります。その時には右指先を聖水に浸して、自分自身に十字架の形をしるし、“主よ、ヒソプをもて我を清めたまえ、さらば我きよくならん。我を洗いたまえ、さらばわれ雪よりもしろくならん”(詩51:7)と唱えます。

横浜教区でも主教座聖堂には聖水が置いてあります。“我を洗いたまえ”は、ゴスペル”Oh Happy Day”で歌う言葉ですね。十字をしるすことは、前回書いたように、洗礼を記念する行為なのです。

「そして祭壇に礼をし、自分の席を見つけて、ひざまずき、十字架の形をわが身にしるして静かに祈ります。それは、自分が主の十字架によって贖われたこと、日々十字架を負って主に従うべきこと、“キリストの十字架を恥とせず、生涯キリストのしもべとなり、また忠義なる兵卒となり、その旗もとにありて、勇ましく罪と世と悪魔に向かいて戦う”ことを表します。

「礼拝中に十字架のしるしをするのは、(1)礼拝の始め、(2)大栄光の頌の終り、(3)ニケア信経の終り(“..来世の命を待ち望みます..”)、(4)赦罪のとき(“..すべての罪を赦し..”)、(5)聖餐のパンとぶどう酒を受けるとき、(6)祝祷のとき(“..父と子と聖霊なる全能の神の恵みが..”)、(7)礼拝後の感謝の祈りが終わったとき。聖餐式で福音を聞く時には、右手の親指で、額と口と胸に小さな十字架をしるします。それは福音を聞いて理解し、人に宣べ伝え、心におさめることを表します。

なお他に、(8)「聖なるかな」(サンクトゥス)に続く「ほめたたえよ」(ベネディクトス)を唱えるとき、(9)感謝聖別の祈りにおけるパンとぶどう酒の奉挙のときにも、よく行われています。

ただし、米国聖公会でよく参照されているルブリック解説書(”Prayer Book Rubrics EXPANDED”, 1979)は、上記の内、(2)についてはそこで十字をしるす根拠が不明である、 (8)についてはおそらく誤解から始まったものである、と注意を促しています。

朝夕の礼拝では、(1)礼拝のはじめ、“主よ、わたしたちの口を開いてください”のとき、右手の親指で口の上に小さな十字をしるす、(2)使徒信経のとき(“..永遠の命を信じます..”)、(3)礼拝の結び、“主イエス・キリストの恵み、神の愛、聖霊の交わり..”のとき、しるします。

司祭が人やモノに向かって十字を切るのは、祝福する時、献げる時、罪の赦しを祈る時ですが、手をおく形に比べて新しい形です。ちなみに、聖別で十字を3回切る(父・子・聖霊)、5回切る(キリストの傷の数)、33回切る(イエスの地上の生涯の年数)等の慣習がありますが、神学的裏付けはなく、典礼を不可解なものにするので、現在は推奨されていません。所作は複雑なほど「ちゃんとしている」感じ、「ありがたい」感じを与えることがありますが、そういう満足が追求されれば、典礼の意味が見えなくなったり、歪めて理解されたりしかねません。初代教会の典礼はシンプルなものでした。その回復に努めてきたのが聖公会の伝統です。

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