礼拝覚書(10) ルブリックが指示する所作・姿勢

24. 6月, 2019 • 0 Comments

キリスト教の礼拝(リタジー)は、生きたキリストの現存の祝祭です。同時に、キリストによって新しくされた生の在り方を<しるし>として表すものです。このことに、礼拝でとる所作・姿勢の必然と意味があります。それは霊的な姿勢として、またしるしとして意味があるのであって、身体的な動作自体に意味があるのではありません。

所作・姿勢には、祈祷書のルブリックで指示されているものと、指示されていないものがあります。

所作は次第に増え、リタジーを混乱させ、その構成・均衡・意味を歪めてしまうものです。そのため、英国教会で第一祈祷書がつくられた時(1559年)、信心を表す所作は徹底して削られ、ただし各人がそれをするのはかまわないとされました。

「立つ」「着席する」「ひざまずく」等はルブリックで指示されています。これらは、礼拝者がリタジーで取るべき姿勢です。

「立つ」:立つのが、礼拝の基本姿勢です。わたしたちはキリストと共に立たせられた者であるからです。わたしたちは聖霊を受けて、神の民としてみ前に立ち、主の祭司として主とすべての人々に仕えるのです。なお、福音書の朗読の時は、「一同立つ」に加えて「一同福音書の方を向く」と指示されていることに注意してください。わたしたちは福音を神の言葉として聞き、教会の内に受け止めるのです。

「着席する」:日課の朗読、説教を聞く時、また朗読の合間の詩篇交唱の時に着席します。立ったままでは大変だから、ということではなくて、わたしたちは耳を傾けます、ということを表現しています。なお、聖書の時代は「立つ」のが、祈り、傾聴、服従の姿勢でした。聖堂には、中世末期まで、椅子は、病気や高齢の人の席、司式者・補式者の席として置かれていただけでした。その後、西方教会では椅子が置かれるようになりますが、長椅子が置かれるようになったのは16世紀以後のことです。

「ひざまずく」:懺悔、告白の時、嘆願の時にひざまずきます。元来は奴隷が主人に対する時にした姿勢で、主である神の前に謙遜に従う表現です。なお、感謝聖別祷が唱えられる時(祈祷書172頁以後)ひざまずきますが、それは中世半ば以後に広まった信心表現の名残りで、本来は立つのがふさわしいのです。英国教会でもローマ・カトリックでも既に改められています。

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