礼拝覚書(6) ロウソク

23. 5月, 2019 • 0 Comments

ロウソクに火を灯すことは、礼拝に必須の行為でしょうか?それは、どんな意味があるのでしょうか?

ロウソクについての指示は、日本聖公会の祈祷書のルブリックになく、慣習に属します。鐘を鳴らすことや祭壇の近くに花を飾ることと同様で、ロウソクはなくてもよいのです。米国でも同様です。英国では、1547年にエドワード六世が「キリストが世の真の光であること」を示すために祭壇に2本のロウソクを灯すように命じて以来、それが基本とされています。日本聖公会ではそれを慣習として継承しています。

甲府聖オーガスチン教会では、祭壇のロウソクは、礼拝の5分前に灯され、後奏の間に消されます。ふさわしい心構えで礼拝に臨むには、礼拝開始の遅くとも15分前には準備に入るのが望ましく、5分前にロウソクが灯された時には、すべて準備が整っているようにしましょう。また、礼拝後も、ロウソクが消されるまでは沈黙して席に座っているようにしましょう。

ちなみに、ローマ・カトリックには、司教司式の盛儀ミサでは7本、荘厳ミサでは6本、盛式ミサでは4本あるいは6本、読唱ミサでは4本あるいは2本、司祭が司式するミサでは2本…という伝統がありますが、それは聖公会の伝統ではありません。しかし、19世紀に典礼の伝統を復興しようとする流れが起こって、一部の教会はローマ・カトリックに倣うようになりました。他方、それに対する強い反発も起こり、ロウソクの使用自体を禁止すべきであるという議論もされましたが、決議には至りませんでした。また、ローマ・カトリックには、蝋はキリストの体/人性を、芯はキリストの魂を、炎はキリストの神性を表すので、蜜蝋を使わなければいけない、という規則もありますが、元々は獣脂でできた安い蝋は悪臭を放つために禁じられたことに由来する規則です。

ロウソクは明かりとしての実際的な必要から使われ始め、教会は当初典礼的な意味を込めての使用には慎重でした。異教の祭儀で広く用いられていたため、宗教の混淆を恐れたのでしょう。しかし、古代末期には、東方教会では、明かりの必要がなくても、福音書が読まれる時には「喜びの目に見えるしるし」として灯火を点すようになっていました。西方教会で、祭壇にロウソクが置かれるようになったのは12世紀ですが、「神の臨在を象徴する」、「玉座たる祭壇から輝き出て、そのみ前に集った民を照らす光であるキリストを象徴する」、「『世の光』であるキリストを象徴する」、「み言葉の朗読によって『照らし』を受けることを象徴する」、「神のみ前に立ち上る会衆の祈りを象徴する」といった理解があります。聖餐式は喜びの祝祭であるから点すのだ、という理解もあります。

また、祭壇の2本のロウソクを、ゴスペルキャンドル(左側)、エピッスルキャンドル(右側)と呼び、点灯は右から左の順で、消灯はその逆順で、という伝統があります。このように点灯、消灯すると、ゴスペルキャンドルが1本だけ点されている状態になりませんが、それは、福音書は使徒書や旧約聖書と共に成立するもので、単体では成立しないことを象徴すると言われます。

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