中国のプロテスタント教会 概説

7. March, 2007 • 3 Comments

■目次

◇ 三自愛国運動委員会(TSPM)
- 「三自革新宣言」から「三自愛国運動委員会」設立まで
- 「三自」の由来
- 文革後の「三自愛国運動委員会」
◇ 中国基督教協会(CCC):文革後の教会復興
◇「家の教会/地下教会」をめぐって
◇ 国家宗教局(SARA):「信教の自由」の実態
◇ 参考リンク / 参考資料
※ 2004年の訪問の写真集:http://michinori-mano.net/?p=626


■ 中国のプロテスタント教会 概説

2007年4月19~26日、中国教会代表団が来日する。1984年、1999年に続き、3回目となる代表団の訪問である。中国の教会をめぐる疑問、誤解等に応えるため、これまでの相互訪問の記録や末尾に掲げるような資料を参考に、中国教会の現代史の基本を整理してみた。なお、中国では基督教(プロテスタント)と天主教(カトリック)は別の宗教とされている。ここではほぼプロテスタントの現代史のみを扱った。


◆ 三自愛国運動委員会(TSPM) ~1950-65年における展開を中心に

(1) 「三自革新宣言」から「三自愛国運動委員会」設立まで

1949年に中国共産党によって中華人民共和国が建国されたことを受け、1950年9月23日、プロテスタントの信徒や牧師の提案により、周恩来総理(当時)の支えを受けながら、「三自革新運動」が始まった。「帝国主義が一貫していて陰険にキリスト教を利用してその侵略の道具にしていること」を認識し、封建主義、官僚資本主義に反対し、新中国建設のため、一致して協力する意思を表明する「三自革新宣言(中国基督教会宣言)」が人民日報に掲載され、中国全土で「三自革新運動」が始まったのである。折から同年11月に始まった朝鮮戦争によって、教会指導者たちは外国の教会との関係断絶を求められ、また天主教(カトリック)もバチカンとの断絶が求められ、「抗米援朝」が叫ばれた。

「三自」とは「自治、自養、自伝」で、三つの自立のことを指す。「自治」は政治的自立、外国の教会からの干渉を受けず、中国人自身で教会を運営すること。「自養」は財政的自立、つまり伝道のために外国の教会からの支援を受けず、自らの力で自らを養うこと。「自伝」は、外国人宣教師によらず、中国人自身の力で伝道すること。

また、各教派の伝道母体がある国の影響を排除する意図をもって、教派の合同も目指され、1958年には中国のプロテスタント教会は「ポスト・デノミネーショナル」になったとされた。ただし、全てが廃されて新しい教会が生まれたということではなく、それぞれの教派的伝統は尊重されつつ残されて、合同が目指されているということである。

「三自革新運動」は、自己批判運動として、また「キリスト教の中に潜伏する反革命分子と腐敗分子」を見つけ出して粛正するという教会内の告発運動として展開した。それがいかに悲惨な事態を引き起こし、いかに深く禍根を残したかは想像にあまるものがある。また、牧師の説教も事前審査され、時の政治におもねって萎縮する傾向があらわれたという。告発された人について聴衆に殺すべきかどうかが尋ねられ、「殺すべきだ!殺すべきだ!」という熱狂的な声がわきあがったなどという記録もある。全国各地の教会は次から次へと告発大会を行い、告発大会の後には「三自革新運動」の分会が作られて、1951年末には170ヶ所を数えた。

このような過程を経て「三自革新運動」は全国各地の教会の指導権を掌握し、1954年7月に全国会議が開かれ、中国プロテスタント教会の統一指導機関である「三自愛国運動委員会」が誕生した(この際に「革新」から「愛国」に名称が変更された)。この大会で、「三自革新宣言」への署名者は、当時の信徒全体の半数に近い41万人を超えたと報告されている。「三自愛国運動委員会」は、共産党が支配する国家に対する文字通りの「愛国」運動として組織されたのである。1955年以降は「三自」以外の教会は認められなくなった。

なお、1922年に設立されたエキュメニカル機構である中華全国基督教協進会(NCC)は、1950年の「三自革新運動」の始まりと共に形骸化し、1955年に解散している。

(2) 「三自」の由来

ナザレの受胎告知教会に中国天主教から寄贈されたタイル画「三自」の原則は、元来は、共産党の統一戦線の一環として考え出されたわけではない。中国におけるプロテスタント宣教は1807年に始まるが、ヨーロッパにおけるエキュメニカル運動の進展や、インドでの宣教の失敗に影響を受けながら、西欧文明化とキリスト教化を同視する従来の奢った考え方に替わって福音の「本色化(土着化・中国化)」の可能性にかける考えが宣教師の間に芽吹き、19世紀末には「三自」は外国人宣教師の指針とされるようになり、また中国人キリスト者がアイデンティティを確立するための原則として広まっていったのである。

19世紀、産業革命の中にあったヨーロッパ諸国では、種々の近代思想による信仰生活への脅威が感じられたり、奴隷貿易の非人道性や、労働者が苛烈な搾取や劣悪な生活環境を強いられていることなどが意識されるようになって、それらへの応答のために青年信徒が教派を超えて集まってYMCA、YWCA、WSCFなどのエキュメニカル運動を組織し、世界各地への熱心な伝道者の群れも生みだしていた。(YMCA/YWCAからは「三自愛国運動」の指導者が多く輩出された。CCC/TSPM前主席の丁光訓主教も、カナダSCMの幹事を務め、ジュネーブで世界学生基督教運動(WSCF)の幹事を務めた経歴を持つ。)一方、インドでは、ラーマクリシュナらがキリスト教宣教師を反面教師としてヒンズー教を復興したことに象徴されるように、西洋式の教育を受けたインド人が西欧文明の腐敗とキリスト教の堕落を問い、宣教師を震撼させていた。その中で、イエス・キリストを聖書時代のその姿のままに、すなわちアジア人としてあらわすべきだという議論も起こるようになっていた。

中国では、アロー戦争(第二次アヘン戦争)に敗北して結ばれた北京条約(1860)でキリスト教の布教が認められて内地への伝道が開始されたことや、農村部でキリスト教が儒教的道徳を破壊するものと見られたこと、布教に伴って社会秩序が乱れて民衆や官憲との衝突が各地で起こっていたことなどから、民衆による教会打ち壊しや宣教師・信者の襲撃などの反キリスト教運動(仇教運動)が起こっていた。1897年、山東省でドイツ人宣教師2名の殺害を受けてカトリック真言会がドイツ軍の出兵を要請して村落の焼き討ちを行い、さらに膠州湾を占領し、多大な利権を奪う独清条約を締結させた。これに対し、義和団を中心とする排外運動が起こり、1900年には300人の宣教師と2万人の信徒が殺害される事態となった。

衝撃を受けた中国人キリスト者たちは、天津の自立会福音堂(1908)、中華国内布道会(1918)、7つの教派が合同した中華基督教会(1927年)など、自伝、自治、自養の「三自」を原則とする宣教団、合同教会を次々と作っていった。メソジスト教会は1911年までに全ての牧師を中国人としていた。五・四運動(1919)や五・三〇事件(1925)などの民衆の反帝国主義(反日・英)運動、および1930~40年代の抗日・解放戦争などを通して、反キリスト教大衆運動に繰り返し遭う中で「本色化」の努力は進められた。日本軍の侵攻によって外国人宣教師が中国を離れていったことも諸教派の中華基督教会等への合同を加速した。1927年迄に8つの内の5つの外国宣教団が中国を離れていたが、教会はそれまで以上に成長を続けた。中華基督教会は、1948年には伝道者1418人、信徒約17万となっていて、南京近辺ではすでに全体の25%を占めていたという(※ 香港のNCCにあたる中華基督教會香港區會(HKCCCC)はこの流れを汲む)。

キリスト教は遙か昔の唐代に伝わっていたのだから、キリスト者であることは西欧帝国主義の支持者であることを意味せず、自分たちは西欧によって堕落させられていない「純粋な」中国のキリスト教を復興しようとしているのだと考えられていた。そして、難民救済や抗日運動における中国人キリスト者の働きが認められたりして、「三自愛国運動」の基礎が作られていったのだった。

(※ 右の写真は、ナザレの受胎告知教会に中国天主教から寄贈されたタイル画)

ちなみに中国で今日も使われている聖書の訳“官話和合訳本”は30年の作業を経て1919年に完成しているが、それがこの時期に始まった新文化運動(白話文~口語の推進運動)に貢献したこと、旧約聖書のユダヤ民族解放のモチーフが愛国抗日の思想の鼓舞に用いられたこと、またキリスト教の平等・博愛・民主主義的思想が中国の思想家、政治家に広く影響を与えたことなどが、今日再び評価されている(太平天国革命運動の洪秀全、キリスト者であった孫文とその同士たち、信仰は持たなかったが青年に向けて繰り返しイエスを称揚していた中国共産党創立者の1人である陳独秀、教育改革の指導者であった陶行知、”基督将軍”と呼ばれた馮玉祥、吉野作造に師事したクリスチャンにして中国共産党の創立者の1人であり、毛沢東を見いだした李大釗など)。

すなわち、「三自愛国運動委員会」には、中国共産党の指導者に促されて始まった側面と、中国のキリスト者たちが国際的なエキュメニカル運動を背景にして内発的に築きあげた運動が基礎となった側面の、両面があるのである。

(3) 文革後の「三自愛国運動委員会」

さて、「三自革新運動」への参加を拒絶した王明道らの教会の流れを汲む「家の教会」の指導者からは「“三自”のかしらは中国共産党で、キリストではない」、「“三自”指導者たちの夢は共産主義の実現だ」「“三自”教会では福音の真理そのものを語ることは許されず、無神論に立つ独裁主義の中国政府のためになるような、道徳的な教えだけが許されている」「政治の下女になって、体から魂まで党の支配を受け入れている」「中国の神学校は政府のもので、正しい学びはできない」といった激しい批判が聞かれる。

「三自革新運動」の組織過程や苛烈な粛正、文化大革命時の弾圧を思えば、このような不信と憎しみの根深さには不思議はないが、しかし、文革後に復活した「三自」教会と相互訪問を重ね、実際に各地の数々の牧師や信徒から証言を聞き、祈りを共にしてきた日本キリスト教協議会に連なる者としては、このような「家の教会」の批判は、今日の「三自」教会の姿を正しく表したものではないと言わざるをえない。

文化大革命後の教会復興期に三自愛国運動委員会および中国基督教協会の主席/会長として活躍された丁光訓主教は、1983年に第1回NCC訪中団が国家宗教事務局の晩餐会に招かれた際、宗教事務局副局長の挨拶に続いて、次のように述べ、教会のかしらがキリストであることを国家に対してはっきりと宣言された:

「私たちクリスチャンの考え方は、明らかに現政府の考え方、すなわち共産主義とは異なっています。しかし、現政府が人民の幸福と生活の安定、世界の平和のために努力していることに支持を与え、むしろこれと統一戦線を組んでいこうとしています。どうか私たちを今後は共産主義中国と呼ばず、統一戦線の中国と呼んでください。」

その過去への批判があることは当然としても、「三自愛国運動委員会」が作られなかったら、中国でキリスト教が存続し、また今日のような発展を見るのは困難であったであろうことは、認められてよいだろう。

「三自愛国運動委員会」は、文化大革命後、1980年に正式に再開され、現在は主に外向きの仕事を担当している。すなわち没収されていた教会の財産の返還や新しく教会堂を作るための土地を得るために地方政府と交渉したり、また地方政府による宗教政策の実施状況を監督したりしている。

没収された教会堂や施設は、役所、学校、工場などに転用されてきたために、全てが直ちに返還されたわけではなく、少しずつ返還が進められている。2005年には遂に上海の聖公会の主教座聖堂だった会堂と付属建物が返還され、そこにCCC/TSPMの本部が移された。

ただし、中国のプロテスタント教会を代表する組織としては、文化大革命後に創設された「中国基督教協会」が前面に出ている印象が強い。両組織は、役割は違っても、協力して共に動く場合が多く、実務組織もほぼ同一であるため、合わせて「両会」と呼ばれることが多い。


 

◆ 中国基督教協会(略称CCC)

1963~1965年にかけて宗教政策に関して論争が盛んに行われ、社会の発展と共に宗教が自然消滅することはありえぬのだから殲滅すべしという極左主義が権力を握り、「三自愛国運動」の努力も空しく、1966~1976年にかけて猛威を揮った文化大革命によってキリスト教は完全に禁止されることになった。

集会は禁止され、聖書、祈祷書、賛美歌集は没収され、教会の会堂、財産は没収されて工場などに転用された。牧師や信徒は投獄されたり、辺境の地に「下放」されて工場や農場で強制労働をさせられるなど、厳しい弾圧を受けた。

なお、「下放」経験で多くのキリスト教指導者が社会の底辺であえぐ民衆を知ったこと、また信徒たちが弾圧の中でも集会などを持ちながら信仰を守りとおす経験をしたことは、今日の中国のキリスト教会の隆盛の大きな基礎になっていると言われる。それらの数々の証言が、教会が再開されてまもない1983年にCCC/TSPMに招かれて訪中したNCC代表団メンバーの心を強く打ったことが、幹事であった東海林勤氏によって記録されている。

「4人組」が打倒されると、中国政府は信教の自由を保障し、1979年に3つの教会が再開され、1980年に「中国基督教協会」が設立された。「協会」と称していることに表れているように「教会協議会」の性格を持っており、「国教会」としての性格も持つ組織である。

三自愛国運動委員会と別に組織が作られたのは、粛正等の記憶によって“三自”の印象が牧師や信徒の間であまりにも悪いためであるという説があるが、文化大革命によって生じた空白を乗り越えて教会を復興するという課題が“三自”が担ってきた役割とは異なっていることも理由であろう。

「基督教協会」(地方では「基督教教務委員会」と称する)は、主に教会の内政面、信仰上のことを担当して、例えば、神学校教育、信徒奉仕者・伝道者の育成、農村での信徒育成、聖書・賛美歌・信仰雑誌の発行、教理問答書、教会法規の作成などを行っている。教会復興が進んだ近年では、地域社会における教会の奉仕活動も推進されている。

復活後の教勢には目覚ましいものがある。1981年には600の会堂、1982年には1000の会堂(信徒300万人)が再開され、1990年には6000の会堂と15000の集会所(信徒500万)、1997年には12000の会堂と25000の集会所(信徒1000万人)ができている。2004年には、32000の会堂・16000の集会所(信徒1800万人、聖職者:男性2000人・女性600人)。ちなみに、中国が独立した1949年当時はプロテスタントの信徒は約85万人(70万人、100万人とする資料もある)、教会数は約6500であった。なお、聖職者も信徒も女性の割合が多いことが特徴的である。また40代以下のクリスチャン人口がしばらく前には28%程であったのが42%に急上昇しており、教育を受けた若い世代への対応も課題とされている。

※ 統計情報 http://www.amitynewsservice.org/page.php?page=1230

西安の教会 (西安の教会)

神学校・聖書学校は、1981年に再開された南京の金陵協和神学院(1952年設立)をはじめ、23校あるが、教勢の伸びに牧師の養成が追いつかない状態が続いており、信徒伝道師の育成にも力が入れられている。1949~79年まで神学教育を受けることができた牧師はいないため、今日牧会を担っているのは40代以下の牧師がほとんどである。外国の神学校に留学生を派遣したり、外国から神学者を招いての講義も持たれている。牧師は政府によって承認される必要はない。ただし按手を受けたら、CCC/TSPMを通して登録されることになる。

※ 各神学校の沿革 http://www.amitynewsservice.org/page.php?page=1232

1984年8月に開かれた全国の両会の常務会議は、「三自」内の極左分子を除くこと、資金や技術の導入も含めて諸外国の教会との協力を進めることなどを決議した。

基督教協会は、中国のプロテスタント教会を代表する機構として、世界教会協議会(WCC)に1991年に(再)加盟し、世界の諸教会との交わりを精力的に進めている。アジア・キリスト教協議会(CCA)には加盟していないが、CCAのメコン流域プロジェクトには愛徳基金会が参加している。

1985年4月には「愛徳基金会(Amity Foundation)」が設立され、世界の聖書協会の支援を受けて聖書出版に取り組み、教会復興の基礎を作り、また各地の大学と協力して世界の諸教会から語学教師を受け入れ、中国の教会と民衆の素顔を世界に伝えている。また、ACTのメンバー団体として災害救援にも取り組んでいる。社会福祉における活躍もめざましく、特に視覚障害者のリハビリテーションや教育に関して行政・病院、ドイツなどのNGOと協働して、大きな役割を果たしている。これら様々な事業協力を通して、愛徳基金会は中国の教会が世界の諸教会とエキュメニカルな交わりを築くのに大きな貢献をしている。

「未成年者への宗教教育は禁止されていること」について:2005年3月、中国外務省の報道官は「子どもが宗教教育を受けるのを阻む規制は存在しない。しかし公教育に宗教が干渉することは許されない」と述べた。 また、2006年10月19日、カンタベリー大主教ローワン・ウィリアムズ師父との会談で、賈慶林(中国共産党中央政治局常務委員、全国人民政治協商会議主席)は「中国政府は、教会が日曜学校を開いて子どもに教えることに反対していない」と明言した。 実際、1990年代半ばには上海の教会では日曜学校が開かれており、1996年のNCC訪中団も活動を見学している。同訪問では、北京でも数年前から子どもの宗教活動が認められて、3つの教会に子どもたちの聖歌隊があることが報告されている。これらに見られるように地域によっては既に認められていたが、家庭外で宗教教育を受けることが許されていない地域は多かった。しかし、賈慶林氏の発言は、今後は地方政府の法令解釈によらず、宗教施設での子どもへの宗教教育が認められることを保障するものである。

※ カンタベリー大主教・プレスリリース http://www.archbishopofcanterbury.org/releases/061024a.htm

「教会が学校や幼稚園を運営することは認められていないこと」について:2005年に愛徳基金会25周年会議に伴う視察で訪ねた四川省では、国内移住労働者の家庭のために、教会が幼稚園を運営していた。その名も「福音幼稚園」で、教理を教えることは認められていないとはいえ、聖書の話を読んだり、賛美歌を歌ったりしていた。日曜学校と同様に、教会による学校運営は、このように地域によっては既に実現している。しかし、国家として公にそれを認めるのはいつの日になるであろうか。

教会運営の幼稚園


◆「家の教会/地下教会」をめぐって

「家の教会」は、家庭に集まって礼拝や聖書研究などを行っている群れで、確かな数は確認されていないが、信徒数が2000万人以上に及ぶと言われる(3000万~4000万人とも、8000万~1億人とも言われる)。なお、公認プロテスタント教会の信徒数は1800万人である。

「政府管理下にある“公認”教会はキリスト者の僅か10%を擁しているだけで、多くは非公認の地下教会に属している」などという報道を目にすることがあるが、その根拠は疑問である。公認教会の信徒を数えることさえ難しいのに、非公認教会の信徒をどうやって数えるのだろうか。また、以下に説明するように「家の教会」イコール「地下教会」ではない。

中国基督教協会(CCC)の設立が決まった1980年10月の第3回全国会議において、「家の教会」の地位は承認された。また、家庭で集会を持って聖書研究などを行うことを政府は公式に認めていて、登録の必要もない。ただし「正式な礼拝」を行ったり、40人以上の信徒が集まる場合は政府に登録しなければならない。登録のない教会は礼拝堂を持つことは許されない。

さて「家の教会」といっても様々である。そもそも実態が不明なものについて語ることは無理な話だが、公認教会による説明、「家の教会」指導者達の論文、および外国人観察者の記録などを総合して整理してみた。

(a) 「三自革新運動」への参加を拒絶した教会の流れを汲む「家の教会(地下教会)」。例えば1950年代初めに北京に60あった内の11の教会は参加を拒絶していた。ちなみに、それらの教会は「三自」の原則を拒絶したのではなく、教会の宣教指針である「三自」の原則が政治に利用されることを拒絶したのだった。(真耶蘇教会、小群(Little Flock)など)

(b) 教派として存続を求めている教会(セブンスデイ・アドベンチスト等)

(c) CCC/TSPMの公認教会となることを是としているが、キリスト教人口があまりにも急速に増大しているために牧師の養成も教会堂の建設も追いつかずに条件が整わず、あるいは地方政府の非協力によって、登録されていない家庭集会。

(d) 「中間路線」「第三勢力」などと呼ばれている教会。CCC/TSPMの指導も受け入れるが、「家の教会」としての独立性も主張するような教会。

(e) 土着の宗教的要素を混淆させるなどして異端化し、政府から「通常の」教理から逸脱している判断された教会(キリストが東方で女性として再臨するという教説を信奉する秘密主義的セクト”Eastern Lightning”他、”The Servants of Three Classes”, “The Shouters”, “the South China Church”, “the Association of Disciples”, “the Full Scope Church”, “the Spirit Sect”, “the New Testament Church”, “the Way of the Goddess of Mercy”, “the Lord God Sect”, “the Established King Church”, “the Unification Church”, “the Family of Love”)

(f) 米国や韓国などから入り込んだ宣教師が非合法に作って協力している「地下教会」

(g) 「文化クリスチャン」と呼ばれる人々。礼拝を行わないので「家の教会」として分類するのは適当ではないが。キリスト教思想文化を信奉すること、あるいはキリスト教信仰を持つことを公に認める人々である。大学の研究者に多く、政府が助成金を出して研究を奨励しているために、信仰者の神学者や研究者よりも、神学やキリスト教史に関して多くの研究を発表し、国際的に活躍していたりする。中国のYMCAの指導者で「文化クリスチャン」を自称する人に会ったこともある。

文革後のキリスト教人口の急速な増大ぶりを見れば、「家の教会」と呼ばれているもののほとんどは(c)~(e)のケースがほとんどであることが推測される。

CCCは「家の教会」への働きかけを続けている(登録への働きかけや神学教育の提供)。1994年1月、CCC/TSPMの主席であった丁主教は「(信仰の観点から、CCCが連絡を持っていない多くのキリスト者たちは)キリストにあって私たちの兄弟姉妹であり、和解を目指さなければならない。私たちは、かれらに仕え、保護し、一致しなければならない。」と語られた。

CCC/TSPMの公認教会と大半の「家の教会」の間で顕著な神学的な違いが存在するわけではない。現在のCCC/TSPMの公認教会を支えている神学は素朴な福音主義で保守的印象が強い。信徒や求道者の多くは公認教会と非公認教会の区別をしておらず、両方の集会に出ている人も多いと言われる。魂の乾きを癒す生ける水を求める人々にとって、福音を聞くことができるのであれば、公認、非公認の区別は意味をなさない。霊と真理をもって主を礼拝をするのに、「この山」も「エルサレム」もないのだ。

公認教会と「家の教会」の間で決定的に異なるのは、国家に対する態度である。単に警戒心から登録を拒んでいる「家の教会」もあれば、終末論的な傾向が強くて中国政府を黙示録における獣と見なしている「家の教会」もある。理由は様々で、必ずしも神学的な違いに根拠が求められるとは限らないが、登録を受け入れる、登録を拒否するという政治的態度において違いがあるのは確かである。

ちなみに、CCC/TSPMは社会主義国の教会であるということで「解放の神学」的な聖書理解を持っていることが期待されたり、あるいはそれを疑われることがあるようだが、それは見当違いである。また20世紀初め以来「本色化」運動を推進した知識人指導層に、儒教や仏教、人間主義、唯物論、革命思想などとの関係でキリスト教を合理的に理解しようとした自由主義神学の傾向が見られたことを根拠にして、現在のCCC/TSPMの公認教会がその延長上にあると決めつけている議論を見ることもあるが、それも妥当な批判ではないだろう。かつての「三自革新運動」を指導した「老三自」と呼ばれる人々は既に70代~80代で一線から退いている。現在の指導層や牧会者のほとんどは文革後に育った40代前後で、「老三自」とは30年間のギャップがあって、育った政治的・思想的環境があまりにも違い、あふれんばかりに集まってきている信徒や求道者の牧会に追われている人たちである。もし批判者が言うように公認教会が政府機関と同じ言葉を喋っているのだとしたら、これほどに多くの民衆が教会に集まってくるようなことはないであろう。

逆に、非公認の「家の教会」の多くで聖書研究が重視されていると言っても、必ずしも正統的な信仰がまもられているとはいえない。爆発的に増えているのは農村部だが、教育を受けた指導者がほとんどいないために、迷信や異端に陥っているケースが少なくないのである。少人数で家庭で集会を持ち、CCC/TSPMとも伝統的「家の教会」とも関係を持たず、特に名称を持たず、終末論への関心が強く、礼拝のスタイルは伝統的宗教に影響を受けたカリスマ系が多いと言われる。

なお、中国では聖書の頒布が禁じられているという誤った情報が相変わらず流布されており、「地下教会」支援活動の柱として、日本でも「いのちの水・計画」などが聖書の密輸出をしている。しかし、1987年に聖書協会世界連盟の支援で愛徳印刷所が設立され、2004年までに3600万部の聖書(既に毛沢東選集に次ぐ発行部数!)、1千万冊の新編賛美歌が発行され、70ヶ所の拠点から聖書協会世界連盟から寄贈された36台のワゴン車によって中国各地に届けられ、公認教会に行けば誰でも聖書や賛美歌集を入手できる状態にある。新編賛美歌には400曲が収録され、その4分の1は中国信徒の創作による。他にも、8つの少数民族の言語に訳された聖書や、点字訳聖書、英語との対訳聖書、子ども向け聖書も印刷しており、また外注を受けて日本語を含め7つの言語の聖書が印刷されている。聖書や賛美歌集の他にも、通信教育教材、説教集(大陸の牧師の説教集だけではなく、台湾など有名な説教者の説教集も発行)、注解書(香港で編集されたものもある)、信仰上の書物などが、教会で販売されている。

文革前の「三自革新運動」のイメージが復興後のCCC/TSPMの公認教会にまで投影されて不信と憎しみがはびこっている現状、中国共産党や中台関係などの国家レベルの政治問題によって教会が分裂している現状は、実に不幸である。

沿海部を中心とした急速な経済発展、都市と農村の貧富の格差の拡大、共産党の権威の失墜などを背景にしたキリスト教人口の急増を前にして、教職者の養成や会堂建設など、中国の教会が直面している課題はあまりに巨大である。それらに必死に取り組んでいる「公認」教会に関して誤った情報を流布したり、誹謗中傷を行ったり、「公認」教会への迫害を招きかねないような中国政府への挑発を行ったりするのでなく、中国の地でキリスト教会が着実に地歩を築くための支援をしていきたいものである。


◆ 国家宗教局(SARA) ~「信教の自由」の実態

中国政府の宗教管理部門。官員は全て政府の公務員であり、信仰者ではない(信仰者は共産党や人民軍には入れない)。

国家宗教局の前で中国では、仏教、天主教(カトリック)、キリスト教(プロテスタント)、および道教が、公認宗教として認められていて、それぞれを扱う部門がある。最近、それ以外の宗教を扱う新しい部門が設置された(伝統的民間信仰、正教会、モルモン教)。

国家宗教局は、それぞれの宗教の代表組織からの陳情を処理したり(会堂の返還、土地の取得等)、また憲法36条に関わる法令がまもられるよう監督をしている。

1982年に改訂された憲法では、第36条で「信教の自由」を次のように定義されている: (1) 中華人民共和国の国民は信教の自由を享受する。 (2) いかなる国家機関、公共機関、あるいは個人も、ある宗教に関して信じることを強制すること、あるいは信じないことを強制することはできない。また、ある宗教を信じていること、あるいは信じていないことを理由として差別してはならない。 (3) 国家は通常の宗教活動を保護する。宗教を利用して治安を乱したり、国民の健康を害したり、国の教育システムに干渉することは許されない。 (4) 宗教団体および宗教に関わる事柄に関しては、いかなる外国の支配を受けることも許されない。

2005年3月に制定された「宗教に関する諸規制」もほぼ同様な文言で「信教の自由」を保障しているが、宗教活動が治安を乱すことがないように細かい諸規定を列挙している。

※ 中国の宗教関係の法令 http://www.amitynewsservice.org/page.php?page=455

中国政府が最も神経をとがらせているのは、中国の教会が外国の教会の介入(資金提供等)を受けて分裂して、政治的に利用されることである。それは自らの歴史的経験にもよるのであろうし、ソ連崩壊時のポーランドにおけるカトリック教会の関わりを観察してきたことなどにも依るのだろう。

中国は「原則の国」であると同時に「法律でなく人間が支配する国」と言われる。先に例を挙げた教会学校や幼稚園のケースでも分かるように、「信教の自由」の実態は地方によってかなり大きく異なっている。

「家の教会」の扱いも、地方によって大きく異なる。地方によっては宗教局はほとんど干渉せず、登録の有無に関係なく公然と教会が運営されていて、地方政府から同等に扱われているところもある。非登録の「家の教会」の集会が数百人規模で公然と開催され、地方政府がそれを非公式な集会として認めていた例もある。

一方では、わずか数人の集まりでも厳しく禁止される例もある。2006年に「家の教会」が取り締まられたケースは河南省が多く(6/19など)、他に湖北省(7/21)、雲南省(7/24)、安徽省(7/27)、内モンゴル(8/19)、浙江省(7月)などのケースが報告されている。

CCC/TSPMの公認教会であっても迫害を受けるケースもある(2006年11月に甘肅州の公認教会の会堂が地方政府に占拠され、無言の抗議デモが行われたケースなど)。

1984年に来日されたとき、丁主教は次のように率直に述べられていた:「(地方)政府の幹部には、このような国の政策(信教の自由)に対し、あまり理解できていないので、反対する人もおります。これも私たちの大きな問題の一つです。私たち三自愛国運動委員会は、このような問題を中央(国家宗教局)へ持っていってお願いしています。」

また、1993年の中国共産党全国代表大会に出席して、「(政府の官員は)宗教を信じておらず、理解しておらず、また信仰者の宗教感情を理解していません」と訴えられたのであった。


◆ 参考リンク

CCC/TSPM
愛徳基金会
中国国家宗教局
辛亦耕 (「家の教会」の立場からの論集)
“Church and State in China” K.K. Yeo (現状の観察)
“The Three Self Church” Paul Grant(“三自”形成への宣教師の関わり)
米国務省・2006年度国別報告(中国)


◆ 参考資料

☆『NCC代表団 中国教会訪問報告』(1983)
☆『愛にあって真理を語り ~’84 中国教会代表団訪日記録』 (1984)
☆『第2回 NCC訪中団 中国訪問報告書』(1996)
☆「聖書の全文漢訳と中国社会での影響」著:陳忠、訳:加藤実 (2005/6)

※ 関連記事:

3 Comments to “中国のプロテスタント教会 概説”

  1. 沼野治郎 says:

    中国のキリスト教に深い関心を寄せている者です。今日、偶然貴サイトを訪ねる機会があり、偏見を超越した、バランスの取れた詳しい記載を読ませていただきました。もっと早く訪ねることができればと思っています。私も2009-2011年の2年弱東北のハルビンにいて、中国の教会をできるだけ訪ねるようにしてきました。直接観ることの大切さを痛感しています。

    現在、中国の聖書翻訳史便覧とでも称すべき小冊子をまとめていますので、参考にさせていただくことができました。

    • ありがとうございます。私は日本キリスト教協議会の国際担当の幹事であったときに幾度か中国各地の教会を訪問する機会があって、日本で広まっている偏った見方を問題に思って素人なりに書きました。ご存知かもしれませんが、専門的な研究者としては明治学院大学享受の渡辺祐子さんがおられます。https://gyoseki.meijigakuin.ac.jp/mguhp/KgApp?kyoinId=ymiegyoyggy

  2. 沼野治郎 says:

    遅くなりましたが、渡辺先生についてご教示いただきありがとうございます。

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