W. 仕事(Work)

13. May, 2016 • 0 Comments

※ジョアン・チッティスター著“Illuminated Life – Monastic Wisdom for Seekers of Light”(Orbis Books, 2000)の翻訳。長坂聖マリヤ教会週報2016/5/8,15掲載。

長老の一人が言った。「自分にとっては益になるが他人にとっては損になるような仕事をしたいと思ったことはない。他人の助けになる仕事は自分にとって有益であるという期待があるからだ。」

師父フェルメのテオドロスが言った。「近頃は、多くの人が、神が休息を与える前に、休息を取っている。」

この社会では、仕事はお金を得る手段になっています。働く必要がなければ本当はこれをやりたい、ということをできるようにする手段になっています。おそらく、このことほど、わたしたちを取り巻く世界の質に何が生じたのかを明らかに説明する人生への取り組みのありようはないでしょう。仕事指向の社会にあって霊的な深さを測るものがあるとするならば、それは、わたしたちのする仕事であり、なぜそれをするのか、ということでしょう。また逆に言えば、それは、わたしたちのしない仕事であり、なぜそれをしないのか、ということでしょう。

観想者は、自分の洞察に対して仕事をもって応答します。事実、誰の場合でも、仕事は、創造について抱いている考えの深さ、あるいは浅さへの解答になっているのです。あらゆるものにおける神の臨在を知ることは、人生をいかに生きていくかということに深く密接に関わります。自分の知っていることが、自分のすることを決定します。神の海を漂うとき、聖でないものはありません。聖ベネディクトの戒律は、「すべてのものを(手桶を、植物を、鋤を、土地を)祭壇上の聖具であるかのように扱いなさい」と指示します(第31章10節)。これは深い観想的な言葉です。

宇宙の聖性のうちに観想者は神の顔を見ます。利益であれ、貪欲であれ、気晴らしであれ、進歩であれ、産業であれ、「防衛」であれ、宇宙を創造した神にふさわしくないものの名によってその顔を汚すことは冒涜です。

創造物語の特質の中でも、わたしたちに対して最も求めるところが大きく、しかし、しばしば見過ごされていることは、創造が完成された時、まだ本当には創造は完成されていなかったということです。神は、残りの過程をわたしたちに委ねられたのです。この地球上でわたしたちが為すことは、創造の継続であるか、創造の妨げであるか、そのどちらかです。すべては、わたしたちが人生をどのように見るのか、今も続く世界の創造における自分たちの役割をどう見るかにかかっています。

仕事は、創造へのわたしたちの貢献です。仕事によって、わたしたちは世界との関係を持ちます。仕事によって、わたしたちは未来への責任を果たします。神は、損なわれたところのない世界をわたしたちにお預けになりました。すべての人が生きるのに十分な世界をお預けになりました。観想者は、時代に対して、次世代にどんな世界を残すのかを問います。観想者は、世界を神の像に形づくろうとします。環境の健全さ、清浄さを保ち、環境を大切にすることで、神の栄光が現在の本質に現されます。わたしたちが責任を負っている小さな惑星の特質に現されます。

理想的な状態は仕事を免れることではないと、観想者は知っています。創世記でアダムとエバが最初に求められることは、「園を耕し、守ること」です。彼らは、罪を犯すよりもずっと前に、仕事することを命じられたのです。ユダヤ教、キリスト教の伝統では、仕事は罪に対する罰ではありません。仕事は、誠実に人間であることのしるしです。わたしたちは、仕事の苦しみから逃れるために生きるのではありません。よく働くために生きるのです。目的を持って、正直に、芸術性のある優れた仕事をするために生きるのです。観想者によってモップ掛けされた床は、かつてないほどよくモップ掛けされた状態になります。観想者によって育てられたポテトは、その成長のためという名目で土壌を損なうことはありません。観想者によって設計、製造される機械は、命を破壊するためではなく、命をすべての人にとってより可能性あるものにするために創造されます。観想者によって仕えられる人は、神が与えてくださったすべての配慮を受けます。

観想者は「園を耕し、守ること」という考えに捉えられています。仕事によって神から気持ちをそらされることはありません。仕事によって神の支配がより近いものになります。仕事によって神から引き離されることはありません。仕事は神の仕事をわたしたちを通して継続します。仕事は人類の祭司職です。仕事はありふれたものを神の偉大さに変えます。

空想事のシャーマンではなく本物の観想者になるためには、世界を保つことが、自分の人生という、さもなくば重要性を持たないこの小さな空隙において為していることにかかっているが如く、働かなければなりません。

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