なぜ多くのクリスチャンがアサドを支持するのか

16. March, 2012 • 0 Comments

(司祭ステファン・グリフィス(1997-2002年に、シリアで聖公会のチャプレンとして勤務), Church Times, 2012/3/9)

数年前、エズラで正教の主教による司祭按手式に立ち会った。エズラはシリア南部のキリスト教徒とイスラム教徒が混在する町である。その玄武岩でできた教会は西暦515年に建てられたもので、礼拝は崩壊しかけていた教区を刷新する一環として行われたものだった。優れた指導者を慕って、新しい司祭たちが初代教会の頃から続く南シリアのクリスチャンの共同体での働きを志望していた。(シリアの反乱が始まったデラを含む)教区の中心になっているのはアラブ山地(エッドゥルーズ山地)のスウェイダである。人口の95%は、プラトニズムの系譜をひく神秘主義的なドゥルーズ派(イスラムだが、その枠内に入らないとも見られる)で、アラック酒とワインの醸造に長けた人々である。主教は90年代終わりに着任し、貧困に悩むこの地域をよくしようとし始めた。貧困者(皆、ドゥルーズ派の人々)のための診療所を建て、異なる宗教に属する人々を職員とした。また、名誉が重要であるので、どの宗教に属していても入ることができ、安全が守られる、女学生のための寄宿舎を地域の大学のために設立した。寄宿舎は、クリスチャン、スンニ派、ドゥルーズ派、アラウィー派の学生が互いを知り合う場となっている。正教会は、地域のために重要な貢献をしているのである。

別の教区では、そこの活動的な主教から別れに際して襟章を贈られた。十字架かと思ったが、よく見るとそれは、当時のシリアの大統領で、現大統領バッシャール・アル=アサドの父である、ハーフィズ・アル=アサドの、金でできた肖像であった。主教と彼の共同体は、政府にとって重要であり、政府から多くの恩恵と支持を受けている。1982年、アサド大統領は、ホムスのすぐ近くのハマでイスラム過激派による反乱を厳しく鎮圧した。サウジアラビアで見られるような厳格に規範に従う律法主義的なタイプのイスラムは、シリアのほとんどの人からは好まれていないのだ。シリアの現バース党政権は全アラブが宗教に関係なく一つであると信じている。この体制は何十年も続いてきた。そして、スウェイダで起こったような混在を必然的に促してきた。私が働いていた時には、それが主だった都市での規範であった。様々な少数者にとって、これは安全であるという感覚と国家に所属している感覚を意味してきた。

アンティオケア正教会にとって、ここは彼らの土地である。この教会は聖パウロの宣教以前からここに存在してきたのだ。彼らは政府を高く評価し、政府の存続を願っている。シリア政府はイラクの近年の混沌から逃れてきた何千人ものクリスチャンを迎え入れてきた。

他の少数者はそれほどシリア社会に統合されているわけではない。

主にクルド族が住む北東部のシリア正教会の人々は、1915年から1925年の間に、オスマン帝国末期の大虐殺を逃れてきた人々の子孫である。彼らはどこの出身かと尋ねられると、トルコの町や村の名を答える。主にアレッポ地方に住むアルメニア人も同時期の難民の子孫である。だからこそ、彼らは、アサド大統領父子に、自分たちが享受してきた安全と成功を感謝している。民族浄化の被害者であった者たちにとって、保護者を支持することは理に適ったことである。

フランスがマロン派のクリスチャンを保護した内戦末期の1860年以後、多くのドゥルーズ派がレバノン山地から逃れ、その南東にあるアラブ山地へと移住してきた(聖パウロが「アラビアに退き」(ガラ1:17)と言うときに意味していたのは、おそらくアラブ山地のことである)。彼らはアラウィー派のバース党政権とは困難な関係を持って来た。アラウィー派も海岸沿いの山々に住む、イスラムで異端と見られる少数派のグループである。

シリアの無宗派主義は、多数を占めるイスラム教徒からも少数者の諸グループからも価値あるものとされている。その幾分かは、シリアで継承されてきたイスラムの神秘主義的なスーフィーの伝統から生じているものである。彼らは体制の変化がもたらすものに恐れを抱いており、それゆえにアサド大統領の政府を支持している。

うずうずしながら見ているのは、サウジアラビア人を中心とするアラビア南部のワッハーブ派(*)の人々である。シリアの多元主義は、極端で純化主義的な彼らのイスラムを傷つけるものなのだ。彼らは、反乱に資金と武器を供与することで、シリアから非イスラム教徒を拭い去りたいと考えている。イラクで起こっているのと同じことを期待しているのだ。反乱者の全てがそのような思想を奉じているわけではないが、彼らは喜んで支援を受け入れている。

シリアの問題は、宗教的少数者の安定が、世界の誰もが持つべき保護を全く与えない体制によってもたらされていることにある。商業は大統領を取り巻く悪者どもに支配されている。司法は簡単に買収される。コネや金のいずれか、あるいはその両方を持つ者を告発することは不可能である。どんな職業でも、雇用はコネで行われる。だから、優れたもの、教育を受けたものが、ふさわしい仕事を得ることは難しい。誰かがあなたの名前を口にしただけで、あなたが拷問にかけられるということがありえる。だが、もし収監されたなら、買収すれば釈放される。中東の多くで見られるこの野蛮な制度は少数者たちから支持されている。政府によって守られているからである。

古い歴史を持つこれらのクリスチャンの共同体の指導者たちは、敵を愛しなさい、自分たちを憎む人々によくしなさい、ということがキリストの掟であると知っている。しかし、主教たちは自分たちの共同体の長期的な保護のことも考えなければならない。シリアの体制を支持することで、彼らはそうしてきたのだ。彼らは、イスラムの過激派が、シリアからイスラム以外の宗教と思想信条の自由を根絶しようとしているのではないかと恐れているのである。

シリア国内および在外のキリスト者たちは、彼らの指導者が長年にわたって支配権力と親密な関係をもってきたことを問題にしている。圧力のもとで分裂するのは国家だけではないかもしれない。キリスト教会がシリアから駆逐される真の危機にあるのだ。

(*) ワッハーブ派:アブドル・ワッハーブ(Muhammad ibn ‘Abd al-Wahhab,1699-1792)を創始者として18世紀に起こったイスラムの運動で、今日の「イスラム原理主義」の祖であり、サウード家と結んでその支配の伸長と共に広がった。なお、ワッハーブは英国のスパイ(Hempher)の指導と力添えによって運動を起こすことができたのだという説があるが、これは偽書を元にした陰謀論のようである。

※元記事: http://churchtimes.co.uk/content.asp?id=125455

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