教会委員の心得

10. January, 2015 • 0 Comments

長坂聖マリヤ教会の週報(1/25, 2/1)のコラムとして書いたものです。

1)神からの召しとして、受けとめること

イスカリオテのユダに代わる使徒を立てることになった時、人々はまず互選して二人を立てて、「すべての人の心をご存じである主よ、この二人のうちのどちらをお選びになったかを、お示しください」と祈って、くじを引き、当たったマティアを使徒の仲間に加えました。(使徒言行録1:12-26)

初代教会で、執事の働きをする人が必要になったとき、使徒たちは自ら選んで任命したのではなく、「あなたがたの中から、“霊”と知恵に満ちた評判の良い人を七人選びなさい。彼らにその仕事を任せよう」と言って、信徒の間で互選させました。そして、七人は、使徒たちの按手と祈りを受けて、任職されました。(使6:1~7)

わたしたちは教会委員を受聖餐者の互選によって立てていますが、それは何か近代的な政治思想に立ってのことではなく、このような初代教会に遡る伝統に則ってのことです。投票は、自分の意見を代表してくれると思われる人に票を入れるのではなく、キリストの体である共同体に仕える人としてふさわしいと思う人に票を入れるのです。教会委員は、取っている個人的な立場、意見、考えが支持されて選ばれるのではなく、あくまでも主への忠実さにおいて選ばれる、ということです。

そして、さらに大事なことは、ただ人からの支持によって任職されるのではなく、その上で、神さまの選びによって、神さまから霊を授けられて任職されるのだ、ということです。教会委員を委嘱された人がそのことを受けとめるべきことはもちろんですが、共同体としてもそれを受けとめることが大切です。任職の後は、自分は選挙であの人を支持したわけではない、あの人がやっている間は…というような態度は、あってはなりません。

英国教会で17世紀に教会委員会の諸規則が整えられていく中で、例えば、会の途中で席を立つことさえも禁じられ、罰金が科せられたりするようになったということがありましたが、それも神からの召しによる職務として厳しく受けとめられていたからこそだったのでしょう。

※ 日本聖公会の法規で、教会委員の選挙については、① 毎年12月中に行うこと、② 12月1日に満16歳以上の現在受聖餐者(前年11月1日~10月31日までに教籍を有する教会で2回以上陪餐している者)は選挙権を有する、③12月1日に成年の者は被選挙権を有する、④ 選挙は、無記名かつ連記の投票により行う、⑤ 法規に定めのないことについて選挙実施規定を各教会で定めを置くことができる、とされています。教会委員は3名以上とされています。何名にするかは各教会の事情によって決められます(※ これは、教会委員を3名立てられなければ教会として成立しない、ということでもあります)。

2)個人に権威、権能が付与されるわけではないこと

教会委員会は、その務めについて権威、権能を持ちます。しかし、それは、あくまでも教会委員会としてであって、教会委員個々人としてではありません。教会委員の間では役割分担をしますが、個々の教会委員として自分が分担したことについて権威、権能を持つわけではなくて、あくまでも教会委員会として、団体性において権威、権能を持つのです。

「委員は便宜上、委員全体に課せられた職務を分担しますが、委員個人が特定の権限を有するものではありません。したがってすべてのことが委員会に諮られ、委員会の同意を得てはじめて権威あるものとされるのです。」(『信徒ハンドブック』, 日本聖公会教務院編, 1968, p.153)

従って、意見が分かれたことについて話し合った上で決が採られたなら、全員がその結論を受け入れること、意見が違う人もそれを自分の意見とすることが原則です。これは、教会委員会の歴史においては、1620年代末には「古代からの慣習」であると広く認められていました。1650年までには「いかなる意見の違いや争いも12人の多数意見によって決定され、あたかも全員が同じ意見であるかのように“立つ”こと」等と団体的責任の原則として言い表されるようになっていました。

昔も今もこれは特に人事や財政に関わって問題になることです。決定の後も、公に異議の申し立てを続けはしないものの自分個人はそれを受け容れない態度をとり続けるという事が、しばしば見受けられます。しかし、それは少なくとも教会委員にあっては守るべき規律に反することですし、教会委員以外の信徒も主のご計画の中の事として受けとめたいものです。まずは決定を受け容れた上で、新たな論点を示すことができるならば、またきちんと手続きに則って提起すればよいのです。自分の見解に固執して頑なな態度を取り続けるのは、神さまとの関係において謙遜さを欠くことであり、そのような態度で聖餐にあずかることは本来許されないことです。

また、この団体的責任の原則とも関わって、秘密性の保持も大切です(英国で、教会委員会は「シークレット・ベストリー」とも呼ばれました)。それが強調され過ぎてもおかしなことになりますが、教会委員会での話し合いの過程について個々の「眼鏡」を通して見たことを、その場にいなかった信徒に話すようなことをしたならば、必然的に共同体の中にあらぬ疑いや亀裂を生んでしまいます。見聞きして考えさせられたことを利害関係があってそのことを知らない人に話したくなるのは人情ですが、教会委員は秘密性保持という基本的な規律を守らなければなりません。

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