諸聖徒日と諸魂日

25. October, 2014 • 0 Comments

※ 2014年10月19日の週報のコラム: 諸聖徒日と諸魂日(1)

教会暦の歩みは「終末」へと向かっています。この時に、私たち以前にキリストの道を歩んだ人々を記念する「諸聖徒日」を祝うことは意味深いことです。

「諸聖徒日」(11月1日)は、年間7つある主要祝日の1つですが、その翌日に小祝日「諸魂日」(11月2日)があります。どちらも「すべて信仰をもって世を去った人々の記念日」です。なぜ同じ意向をもつ祝日が2つあって、しかも連続して祝われるのでしょうか。

新約聖書では「聖なる者/聖人/聖徒(=ハギオス)」とは、すべてのイエス・キリストを信じる人、キリスト教会の信徒を指して使われています。
※「真理によって、彼らを聖なる者としてください。あなたの御言葉は真理です。」(ヨハ17:17)
※ 初代教会でのこの意味での用例は、例えばローマの信徒への手紙1:7等に見られる。

しかし、迫害の中で次第に特に殉教した人が「聖人」として崇敬され、その遺骨、遺品が尊ばれるようになりました。そして、主の復活を記念する主日とは別に、各々の「聖人」をその殉教日に記念して礼拝を捧げることが盛んになりました(これが聖堂のルーツの1つである殉教者記念堂を生み出します)。4世紀には、そうした個々の聖人の記念日とは別に、有名無名を問わず全ての聖人を記念する「諸聖徒日」(ローマ・カトリックでは「諸聖人の日/万霊節」)が聖霊降臨後第一主日に祝われていたことが、4世紀に作られた聖歌から知られています。これはおそらくアンティオケアで始まった伝統で、東方教会では現在も復活節後最初の(ペンテコステの次の)日曜日に守られています(「衆聖人の主日」)。

西方教会でこの祝日が広まったのは8世紀以後のことです。おそらくアイルランド経由で東方教会のこの伝統がローマに伝わったため、アイルランドで10月30日が精霊を祀る夜であったのをキリスト教化する時に日が移されたのが継承されて(ハロウィーン=ハロウ・イブ)、西方教会では11月1日に祝うことになったようです(※アイルランド経由という説は19世紀のケルト文芸復興運動の中で作られたフィクションであって、史料による裏付けがないという批判もあります。直接的には、教皇グレゴリウス3世がサン・ピエトロ大聖堂の中に使徒とすべての聖人・殉教者のための小聖堂をつくって聖別した日が11月1日だったことに由来します)。そして、「聖人」が特別な存在として観念されていたために10世紀頃から「諸聖徒日」の翌日に一般の信徒を記念する「諸魂日」(ローマ・カトリックでは「死者の日」)が加えて祝われるようになりました。

すでに宗教改革前から聖人のインフレーションや聖人崇拝のキリスト教信仰からの逸脱に関して繰り返し改革が行われていましたが、宗教改革ではそれが腐敗の主要な要因と見られ、「聖人」の本来の聖書的意味が回復されて、英国教会の1549年の『第一祈祷書』では「諸聖徒日」が「すべて信仰をもって世を去った人々の記念日」となって、「諸魂日」は廃止されました。

しかしまたその後、すべての殉教者を記念する日として諸聖徒日が守られるようになったという歴史的起こりを踏まえて改めてその日とは別に「すべて信仰をもって世を去った人々の記念日」である「諸魂日」を守る流れも起こって、日本聖公会でも1959年祈祷書から諸魂日が小祝日として回復されました。ただし、それによって諸聖徒日の位置づけが第一祈祷書以来の伝統から変わったということではありません。

※ 2014年10月26日の週報のコラム: 諸聖徒日と諸魂日(2)

諸魂日は、10世紀頃にクリュニー修道会で守られるようになって、それが系列修道院へ、やがてフランスから西欧全体へと広まりました。継承関係はありませんが、古代シリアの典礼で聖土曜日にすべての逝去者の記念日として覚えられていた他、各地に同様な記念日があったようです。

諸魂日は英国では宗教改革の際に廃止されましたが、他の西欧諸国のプロテスタント圏では伝統が残った地域も多いようです。墓に花を飾るなど、地方によって独自の習慣があります。現在は、聖公会でも、諸聖徒日あるいは諸魂日に、あるいは11月の月間を通して、祭壇前、あるいはそのために特別に設けられた台に、逝去者の写真や花を置き、多くのロウソクを灯したり、香をたいたりする伝統のある教会もあります。

長坂聖マリヤ教会は「若い」教会であるためか、納骨堂や教会墓地を持っていないためか、諸聖徒日の礼拝と個々人のお墓をまわる墓参の伝統はありますが、いささか「さっぱり」しています。個々の逝去記念式もほとんどなく、2年程前から始めた毎月の逝去者記念式の出席者もほとんどありません。一昨年ぐらいから教会墓地・納骨堂について検討を重ねていますが、単に現在のメンバーにとって必要かどうか、という観点からだけではなくて、長坂聖マリヤ教会における典礼生活を整える一環として捉えることが必要です。

わたしたちは<使徒信経>で、「…聖なる公会、聖徒の交わり、罪の赦し、体のよみがえり、永遠の命を信じます」と信仰を言い表します。また、聖餐式では、代祷で「どうか、わたしたちも、彼らとの交わりを保ち、ともにみ国の栄光にあずからせてください」と祈り、また感謝聖別祷Ⅱでは、「わたしたちがあなたの聖なる賜物にあずかるとき、聖霊を降し、世にある者も世を去った者も、すべての人を一つの体とし、聖霊を満たしてください。わたしたちの信仰が真理のうちに強められ、すべての聖徒とともにみ子イエス・キリストによって主を賛美し、ほめたたえることができますように」と祈ります。

死によって隔てられない「聖徒の交わり」は、このように普段の礼拝で強調されていますが、教会暦の中でももっと大切にしたいのです。加藤博道主教が「十一月は(聖徒の)記念の月である」という英国の礼拝学者の言葉を引用して、降臨節前の期節を様々な活動で慌ただしく過ごしてしまいがちな教会生活のサイクルの見直しを促し、「本当に死の前にとどまる心を失って」いないか、「この世と同じ…目的と成果の論理で働いて」いないか、と提起されています(『礼拝学日記』p.43,45)。今、わたしたちが銘記すべき問いかけではないでしょうか。

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