礼拝中の姿勢・動作の歴史 :: 海辺のノート

礼拝中の姿勢・動作の歴史

29. July, 2014 • 0 Comments

◆ 2014/8/3 週報のコラム

初代教会では、会衆は立ったままで主日礼拝を捧げました。神の民として天の父の前にいることを強く確信していることを象徴する姿勢が取られたのです。祈る時は、顔を上に向け、目は開けたまま、手のひらを上に向け、手を上に差し伸べる形、あるいは自分の体の前で手を開く形が取られました。

この最古の形は、現在でも東方教会やユダヤ教の会堂では取られています。聖公会を含む西方教会でも、感謝聖別の祈りを捧げるときなどの司祭の所作に、この形は残されています。(ヨハ17:1, Ⅰテモテ2:8など)

嘆願、懺悔の祈りは、立ったまま、手は腰の位置で合わせ、顔を下に向け、目は伏せて、あるいは閉じて、捧げられました(ルカ18:10-13)。もっと切実に祈る時には、床の上に伏せ、手のひらを上に向け、持ち上げる形も取られました(顔は伏せる場合も、上に向ける場合もある 。マタ26:38-39)。イスラム教でも、この形が継承されています。

その後、次第に、神さまが地上の王の天上版のようにイメージされるようになって、地上の王を前にしたときの所作が礼拝に入ってきました。ひざまづいたり、手を合わせたりすのは、いずれも元々は、王を前にして臣下が何かを願う時に取る形でした。

325年のニケア公会議は、主の復活を祝う日曜日の礼拝に懺悔の祈りはふさわしくないという理由で、ひざまづくことを禁止しました。西方教会では、ひざまづくことが、懺悔や回心よりも、謙遜や服従を意味するようになって、祈るときの基本姿勢になりました。

今は、椅子に座って、頭を垂れ、目を伏せ、あるいは瞑って、手を合わせる、という形が一般的です。これは、宗教改革が起こる直前の時期に、会衆席というものが発明されて登場した形です(それまで、聖堂に椅子はありませんでした。今も東方教会にはありません)。

プロテスタントはローマ・カトリックが「発明した」と見たものはことごとく廃止しようとしましたが、会衆用の長椅子は残しました。宗教改革は、一種の教育運動で、非常に長い説教が行われたので、椅子に座ってそれを聴く、祈る時も座ったまま頭を垂れて手を合わせる、といった形が、礼拝の基本的な姿勢になっていったのです。

聖公会の礼拝では、立って祈る古代の形、ひざまづいて祈る中世の形、座って祈る近代の形のいずれもが用いられていて、そこには教会の歴史が保存されているのです。単なる慣習、伝統ということではなくて、それぞれの形は、神を前にした自分の心の形を表しているということを意識したいですね。

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