福音朗読について

19. July, 2014 • 0 Comments

◆ 2014/7/20 週報のコラム

さあ、旧約聖書、詩編、使徒書によって<神のことばの食卓>が整えられました。いまや、ご自身のことばのうちに現存しておられる主イエス・キリストを迎える時です。わたしたちは主をどのように迎えるでしょうか。

立ち上がり、主の方に体を向け、喜びの<歓声>をあげます。<歓声>とは、「昇階唱または昇階聖歌」のことです。ローマ・カトリック教会やルーテル教会では「アレルヤ唱」と呼ばれています。日本聖公会でも1938年祈祷書までは「ハレルヤ」と呼ばれていたようです(ハレルヤは「ヤハウェをほめ讃えよ」という意味)。ヨハネの黙示録には、初代教会の礼拝に基づいた描写がありますが、このアレルヤ唱に相当する天上の礼拝の歓声が、19章1節、4節に書かれています。ローマ・カトリック教会では、このアレルヤに伴う詩句は、元々は「主こそ王、威厳を衣とし、力を衣とし、身に帯びておられる」でした。現在は、この応唱は、続いて朗読される福音の主な一句が使われています。聖公会でも、ここで歌う聖歌はその日の福音書に因んで選ばれることが多く、意味合いは同じです。

そして、十分な数の奉仕者がいる教会では、福音朗読者は香炉捧持者、ロウソク捧持者に先導されて、会衆の真中に行列で進みます。これはローマ帝国における皇帝の入場を示すものでした。わたしたちは、このような形をとって、復活されたキリストが王であることを表しているのです。朗読前に、「主に栄光」「主に栄光がありますように」と応唱するのも同様で、また同時にこれから福音が宣言されることを強調するためです。

ここで、必ずしなければならないわけではありませんが、福音朗読者は親指で福音書と自分の額、口、胸に小さく十字架のしるしをします。会衆も同じようにします。これは、額(思い)と口(言葉)と胸(行い)で福音の証し人となることを表す意味でするのです。

そして、主自らがご自分の民に語られます。その後に、「主に感謝」「主に感謝します」と応唱しますが、礼拝細字規定には「歌いまたは唱える」とあります。この順序には意味があって、本当はこの賛美は重要なものであるので、ただ唱えるのではなく、歌う方がふさわしいのです。

福音書は「執事または司祭」が朗読します。礼拝細字規定にこの順序で書いてあることにも意味があります。司祭も執事もいる場合は福音書は執事が読む、執事がいなければ司祭が読む、という指示なのです。複数の司祭がいる場合は、司式司祭でない司祭が朗読します。

福音書の朗読が、こうした儀式を伴って行われるのは、キリストの言葉を直接に聴くことが重視されているからであり、また、それが記された福音書を大切にしていることを表すためです。

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