聖餐式における詩編交唱

15. 7月, 2014 • 0 Comments

◆ 2014/7/13 週報のコラム

旧約聖書の朗読と使徒書の朗読の間に詩編の交唱があります。皆さんは、詩編の交唱をどのように体験されているでしょうか。

この旧約聖書の後に唱えられる詩編は、伝統的に「グラデュアル(昇階唱)」と呼ばれ、4世紀頃には聖餐式のこの位置で用いられていたことが知られています(今は私たちは福音書前の聖歌を昇階唱と呼んでいます)。旧約聖書の日課に合わせて選ばれ、その黙想を助け、福音書の日課に備えるために用いられています。旧約の出来事から新約の出来事への橋渡しの役割を担っているのです。

そのため、座って静かにゆっくりと交唱する形や、聖歌隊によって歌われるのを聴く形が取られます。なお、唱える際、各節の中程にある記号(∥)で一呼吸を置くようにすると、せわしい感じになってしまうことを避けることができます。

ローマ・カトリックでは、これは答唱詩編と呼ばれて、会衆は答唱句を歌い(例えば「心静かに私は行こう、神よあなたの光の内に」)、一人または少数の歌唱奉仕者が詩編本文を会衆によく味わってもらえるように歌い、会衆はそれを聴きながら黙想し、また答唱句を繰り返して答える、という形をとっています。

聖公会では一度は宗教改革の時代に廃止され、20世紀半ばの典礼改革の中で旧約聖書の朗読と共に回復されました。

1950年代からの世界の諸聖公会の祈祷書改正の動きの中で、1958年のランベス会議で聖公会の一致の保証として挙げられた諸項目の中に、「共同の賛美と黙想のための普通の方法として詩編を使用すること」という項目が挙げられています。日本聖公会は、このランベス会議の決議前に祈祷書改正を行ったため、1959年祈祷書ではこの項目は反映されませんでした。1990年祈祷書で「使徒書の前にその日にふさわしい詩編を用いてもよい」という礼拝細字規定が入り、2002年にようやく聖餐式聖書日課にあわせて選んだ詩編の表が配布されたという経緯があります。

聖公会の場合は、ローマ・カトリックの場合の答唱句にあたるものがないので、なぜ、その詩編が使われているのか、旧約聖書とどう繋がっているのかが分かりにくいかもしれません。

なお、祈祷書に掲載されている詩編は、新共同訳のものではありません。日本カトリック教会典礼委員会詩編小委委員会編『ともに祈りともに歌う詩編』(あかし書房、1972)に基づき、それを編集したものです。

※ 個人的に残している疑問

詩編が、昇階唱と呼ばれていたこと、すなわち福音書の朗読者が朗読台までの階段をのぼっていくときに唱えられていたことと、それが旧約の朗読に対応するものであることの間に、釈然としないものを感じます。現在のように使徒書の前に唱えられるなら、昇階唱と呼ばれるのはおかしいわけです。だとすると、第一朗読に対応するものであっても、第一朗読の後ではなくて、第二朗読の後、福音書朗読の前に、唱えられていた、というなのでしょうか。ここのところがよく分かりません。現在のように、旧約と使徒書の間に唱えて、その詩編が旧約と福音書の橋渡しをするものだとすると、(緑の季節は)使徒書が浮いてしまっているように感じます。

小田原の大野司祭から、まず、詩編の交唱は初期ユダヤ教に遡る伝統であること、第一朗読への応答として、しかしまた、聖書朗読の統合的部分として詩編が用いられたことを教えていただきました。また、以前は、今のようにいきなり聖餐式ではなくて、朝の礼拝から始まって、そこで詩編が用いられていたので、そのセンスからすると、旧約と使徒書の間で詩編を唱えるのはしっくり来ないものを感じる、ということでした。聖餐式聖書日課の整備を含めて、まだ過渡期にあるということでしょうか。

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