ユダの福音書

26. 6月, 2014 • 0 Comments

先日、古本屋で安かったのでつい買ってしまった『原典 ユダの福音書』を読みました。グノーシス主義セツ派の文書のひとつで、キリスト教とは関わりない内容であるわけですが(人物名にイエスとユダと名前を使い、場面を最後の晩餐の場面に設定しているだけで、語られている内容はキリスト教とは別に成立していたセツ派の思想がそのまま語られている)、それはともかく、3点ほど、興味深く思いました。

○「弟子たちが集まって座り、パンに感謝(ユーカリスト)の祈りを唱えている弟子たちに近づくと、イエスは笑った」。この世界を創造のはじめから不完全で悪に満ちたものと見るグノーシス主義の経典で、食事の感謝の祈りが特に象徴的に取り上げられて、嘲笑の対象になっていること。初代教会のユーカリストの祈りが特に東方では創造の業への感謝を主としていたことと対照的。

○グノーシス主義セツ派が、聖書に出てくる負の符号を付けられた人々、カイン、エサウ、コラ、ソドムの住人、イスカリオテのユダを讃えた心性に、近年のネット右翼や在特会の人々の心性が重なるように思われること。この世界を呪詛する人たちにとっては、これまで正しいと主張されてきたこと、それを主張してきた人々や団体は、嘲笑われるべき対象であって、これまで否定されてきた主張、人物に真理への道があるように思われる、ということ。正負の符号の転倒がセクト的情熱の核になること。

○前エルサレム教区主教が、中東の人々は、父・母・子の三形態からなる至高神に馴染んでいたために、父・子・聖霊なる神というキリスト教の教理は馴染めないものだった、と話しておられたことの背景が分からなかったが(カナンの宗教も父・母・子だったが、時代が大きくずれるので)、グノーシス主義セツ派にそのような神観の例を見ることができることが分かったこと(父=見えざる神、母=バルベーロー、子=アウトゲネース)。

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