幸せなら手をたたこう

30. May, 2014 • 2 Comments

2014/5/28,29 山梨英和中学・高校 朝の礼拝での説教

Giotto_-_Scrovegni_-_-38-_-_Ascension「幸せなら手をたたこう」という歌があります。皆さんの多くが「花の日」に歌ったとお聞きしました。この歌がどんな経緯で生まれたのか、お聞きになったことがあるでしょうか。

私は、今年の夏、教会の青年6人を連れてフィリピンの教会を訪ね、一緒に伝道所の建物を建てたり、交流をしたりするワークキャンプを予定しています。その準備のためにいろいろ調べていて、偶然この歌が生まれた経緯を知りました。

今から55年前、フィリピンで行われたYMCAのワークキャンプに参加したひとりの青年が、日本に帰る船の中、耳に残っていた子どもたちの歌っていた歌のメロディーにフィリピンで経験した感謝の思いを歌詞にして付け、この歌は生まれました。

帰国して仲間に歌ってきかせたところ、当時盛んだった歌声喫茶で広まって、それをたまたま耳にした歌手の坂本九さんが、1964年、東京オリンピックの年にレコードにして、その年にこの歌を主題歌にした映画も作られて、日本中で歌われるようになりました。

この歌を作った青年は木村利人さんといって、後に生命倫理の研究者として早稲田大学教授をお務めになった方です。木村さんは現在80歳。1934年生まれで、敗戦を迎えた時は国民学校6年生で、学童集団疎開で山梨県猿橋町におられました。血気盛んな軍国少年で、アメリカへの憎しみから、日記に「撃って滅ぼしてしまえ」と書きつけていたそうです。

戦争が終わり、山梨から東京に戻って、高校1年のときにクリスチャンの叔父さんの影響で洗礼を受けられました。そして、大学院生だった25歳のとき、北フィリピンでのワークキャンプに参加したのです。

木村さんは、ワークキャンプに行って、そこで初めて、日本軍がフィリピンで何をしたのかを知ったそうです。

皆さんは、何かお聞きになったことがありますか?侵略した直後、日本軍が降伏した米軍約7万人を捕虜にして、その内の約2万人のフィリピン人とアメリカ人を死なせた「バターン死の行進」はよく知られていますが、それだけではなくて、その後、日本軍がフィリピン人の反乱を抑えるために行った拷問や、ゲリラ討伐の名の下に行った虐殺は数知れません。

最近、教会の関連施設ベタニヤホームに入っておられる人たちが『わたしたちの戦中・戦後』という小冊子を作られたのですが、その中に、次のような証言がありました。「私の夫は、あの激戦地のフィリピンのレイテ島に従軍していました。そこでは、日本兵による現地人へのいろいろな虐殺があったようです。なかでも忘れられないのが赤ちゃんを投げ上げて下から突き刺すことだと言っていました。それを止められなかったことを死ぬまで悔やんでいました。」本当にそんなことが?と思わされますが、この残虐な「遊び」はマレーシアやフィリピンに入った日本兵の間でかなり流行ったことのようです。

木村さんは、キャンプで生活と祈りを共にしたフィリピンの青年から、「本当は日本人が憎くて、殺したいと思っていた位だった」という本音を聞いてショックを受け、しかしまた、母親を日本兵に殺された青年に、「忘れられないけれど、許す。これからは一緒に平和のために尽くそう」と涙ながらに言われて、「今の平和の幸せを守り育て上げ、小さくてもできることをやり続けよう」と誓い合ったそうです。

その時の思いを、その話し合いの時に一緒に読んだ詩篇第47篇の言葉「すべての民よ、手を打ち鳴らせ。神に向かって喜び歌い、叫びをあげよ」に託して、歌詞にしたのが、「幸せなら、手をたたこう」です。「幸せなら態度で示そうよ」というのは、「一緒に平和のために尽くそう」というフィリピンの青年の言葉に由来しています。木村さんは、「その時に『タヨ アイマカイビガン カイ クリスト』(わたしたちは、キリストにあってトモダチだ!)と語ってくれたタガログ語の美しい響きが、50年以上たった今でも、まだ耳もとに聞こえてくる」と語っておられます。

わたしも似た経験をしました。日本キリスト教協議会の国際担当の幹事をしていたとき、フィリピンの教会協議会の幹事たちとよく連絡を取り合っていました。こちらからフィリピンに行ったり、逆に日本に招いたりということを何度も重ねている中で、ある時、ポツリと、総幹事が、彼女の叔父さんが日本兵に刀で首を切られて殺されたことを話してくれました。もうひとりの幹事は、山下将軍が最後に追い詰められた北フィリピンの出身で、日本人との間に生まれた従兄弟がいることを話してくれました。わたしは、彼らが自分にその話をしてくれたこと、フィリピンの教会の人たちが日本の教会が戦争責任と向き合ってきた歩みを認めて、平和のために共に働く仲間として大切にしてくれていることに、言葉にはできない感謝の思いを持ちました。

「幸せなら手をたたこう」という歌で元々歌われた「幸せ」とは、このような「幸せ」です。罪の赦しと和解によって与えられた復活の命に生かされる「幸せ」、イエス・キリストの十字架によって与えられた「幸せ」です。「幸せなら」というのは、「神様の愛を知ったなら」ということ、「態度で示そうよ」というのは「イエスさまの働き=和解の働きを、わたしたちも共に担おうよ」と、言い換えることができるでしょう。

皆さんがこの歌をまた歌うとき、「忘れられないけれど、許す。これからは一緒に平和のために尽くそう」と語りかけたフィリピンの青年の思いと、この愛の言葉に新しい命を与えられた木村利人さんの経験に思いを馳せてくださったらと思います。

※ 参考文献:
・『戦時下の教会が生んだ讃美歌』(石丸新, いのちのことば社, 2014)
・『私たちの戦中・戦後』(ベタニヤホーム有志一同, 2013)
・『子どものとき、戦争があった』(いのちのことば社, 2011)

2 Comments to “幸せなら手をたたこう”

  1. 尾関敏明 says:

    親しんだ曲の背景がそんな事であったとは本当に驚きです。私達は如何に戦争の醜い部分が知らされずにいるのかと改めて愕然としました。自国の軍人の被害のみ大きく伝え、しかも英霊として祭り上げることにより、政治家は過去の歴史の闇の部分を消し去り歪曲し戦争を正義とする。日本の戦後は本当の懺悔が必要ですね。

  2. コメントありがとうございます。「もしこの人たちが黙れば、石が叫び出す」。いくら表面上の操作をしたとしても、真実を隠すことはできないもの、と思います。

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