パウロの律法批判の位相

1. 3月, 2014 • 0 Comments

【初代教会におけるユダヤ主義の分離 -7,8(2014/2/23, 3/2週報のコラム)】

◆ パウロと旧約との関係

前回、パウロが、初代教会のユダヤ主義者からも反ユダヤ主義者からも、旧約聖書を無用にした者として評価されたことについて書きました。

近代においても、パウロは、エムーナーの宗教(人間は既に信仰関係の中にいる)をピスティスの宗教(人間は信仰に回心する)へと変質させた者として(マルティン・ブーバー)、あるいは、「イエス・キリストの信仰」を「イエス・キリストへの信仰」へと変質させた者として論じられるなど、断絶をもたらした者としてしばしば否定的なニュアンスで評価されています。

確かに、パウロは、ユダヤ主義とのたたかいにおいて、イエス・キリストにおいて生じた新しいもの、普遍的なものを明らかにすることを課題としたわけですが、その神学の核で働いている論理が旧約聖書の宗教に通底するものであることが、しばしば軽視されてきました。このことを、ウィーンでラビの家系に生まれ、ラビとしての教育を受けた立場で指摘したのが、ヤーコプ・タウベス(1923-1987)です。彼は次のように論じました(『パウロの政治神学』, 高橋哲哉・清水一浩訳, 岩波書店, 2010)。

… パウロが抜け出そうとしたものは何だったか、それは、ギリシア的-ユダヤ的-ヘレニズム的な宣教神学だった。それは、当時ローマ帝国で広く行き渡って、秩序をもたらしていた一つの要因であった、ノモス(法)の神格化というヘレニズム的なアウラのユダヤ版で、実体としての律法という発想に立つノモス神学の形をとった宣教哲学であった。パウロは、これに顛倒によって答えた。ノモスではなく、当のノモスによって十字架にかけられた御方こそが命令者なのだ、と。かくして、パウロの言葉には普遍主義があるが、これはイスラエルの選びを意味している。ただし、いまやイスラエルという形象は変容している。彼にとってそれは、連帯の共同性のことである。それも血による親縁性ではなく、約束による親縁性である。ここに息子という地位も、約束も、栄光も、律法も、神殿も、アガダーも、イエス・キリストにおいて顕現したメシアも全てがかかっている。ここで問題になることは、新たな<神の民族>の創始とその正統性の証明であった。これはユダヤ的な心に表象しうるかぎりで最も劇的な出来事であった。そのような表象の基底となっているのは、イスラエル民族が掟に背いて罪を犯したために、神の怒りがイスラエル民族を滅ぼそうとしている、ということである(出エジプト記32-34章、民数記14-15章)。これはトーラーの核心的な経験なのだ。 …

タウベスは、パウロはイエス・キリストの十字架と復活という出来事を旧約的精神の深いところで受けとめた結果、ファリサイ派のリベラルな律法理解に対する根底的な批判を展開するに至ったのだ、と指摘しているのです。リベラルな律法理解とは、律法というものを、当時のヘレニズム世界に広く共通して見られた<法>理解のひとつのバリエーションのようにして捉える理解です。ファリサイ派に代表される初期ユダヤ教は、前2世紀頃から律法をギリシア哲学に由来する概念を借りながら実生活全般をそれによって支配するべき<法>ないしは<倫理>として再確立しようとしていたのです(※12/25のコラム「ファリサイ派の伝統主義」参照)。

◆ パウロの律法批判

パウロの律法批判は、伝統的に、個人(ないしは人類一般)における罪と義認に関わる霊的な問題として非歴史的に把握されてきました。行い(=戒律を守ること)によっては、それをどこまで徹底したところで、人は神の前に義なる者として認められることはできず、ただ信仰によってのみ義なる者とされるのだと。

しかし、そうした把握の仕方では、極端な場合には、実際にパウロの伝道から生まれた教会で問題になったような、「すべてのことが許されている」(Ⅰコリ6:12, 10:23)と言って出鱈目な生活に堕しながら、それを信仰によって自由になっているしるしと考えるような在り方を生み出しかねませんし、そこまでには至らずとも、ルースであることを寛容であることとはき違えた在り方、あるいは、肉の次元においては自分が住む地の政治的・経済的・文化的な支配に服して当然とするような在り方を生み出しかねません。また、それでは、パウロの教えとマタイ福音書が伝えるイエスさまの教えとの間に齟齬がある、ということにもなりかねませんし、反ユダヤ主義的な動機を神学的にずっと備給し続けるということにもなってしまいます。

ヤーコプ・タウベスは、そうした見方に対して、パウロが照準を当てたのは当時生成しつつあった<エクレシア(教会)>の次元だったのだ、と指摘しました。パウロの律法批判で企てられたのは、一方ではローマ帝国に対峙し、他方では民族的な統一体としてのユダヤ民族に対峙しつつ、新しい社会的な契約連合(新たな神の民)を形成し、その正統性を主張することだったのだと。

パウロが宣教した時代は、クラウディウス帝の勅令下、諸々の民族的伝統、父祖たちの慣習を保護する権力として諸民族にローマ帝国の支配を承認させ、それらの伝統を公認宗教としてローマ帝国に編入する政治が行われた時代でした(※2/2のコラム参照)。それに服する道を主張したユダヤ主義者たちを退けて、第三の共同体である<教会>が生成しうる空間を作り出すために、パウロは律法批判を展開したのです。パウロの手紙はすべて状況に介入するための「手紙」であったこと(したがって非歴史的にそれを読むことはパウロの意図に反すること)が忘れられてはならないでしょう。

パウロは律法批判を「法(ノモス)でなく、当の法によって十字架にかけられた御方こそが命令者なのだ!」という転倒を通して行いました。この否定的な政治神学によって、政治的な秩序権力としての律法を否定し、ローマ帝国皇帝の支配であれ、神格化された律法による支配であれ、この世のあらゆる支配権力から正統性をはく奪し、メシア信仰による反抗を普遍化したのでした。

このタウベスの理解に立てば、行いをめぐって正反対の評価をしているように見えるパウロ書簡とマタイ福音書は位相を異にしているだけで矛盾しているわけではない、ということも納得されるのではないでしょうか。

Leave a comment