パウロの律法批判の「継承者」たち

9. 2月, 2014 • 0 Comments

【初代教会におけるユダヤ主義の分離 -6(2014/2/9週報のコラム)】

「もはや、わたしたちはこのような養育係(律法)の下にはいません」と言い放ったパウロを、ユダヤ主義者は「真の信仰からの離反者」として批判しました。彼らは後に律法遵守を強調してマタイ福音書を用いるエビオン派を形成して、主流教会から異端として批判され、ずっと後にはイスラム誕生のひとつの基礎になったことは既に書いたとおりです(1/1, 1/5のコラム)。

他方の極には、「パウロは律法=旧約聖書はもはや無用のものになったと考えたのだ」と理解し、そう理解されたパウロの神学だけに真理を見る者も現れました。マルキオン(1c末~2c半ば)です。彼は旧約からの引用を削った上でパウロ書簡とパウロの神学に親近性の高いルカ福音書だけを聖書としました。教会で正典と認められる文書の目録作りが始まったのは、マルキオンの脅威を受けてのことです。自分たちこそがイエスの真の教えを伝えている特定の使徒からの文書を保持していると主張したグノーシス主義者やマルキオンに対して、正統教会は神学的に幅のある諸文書を正典に含め、特定の使徒の権威によるのでなく使徒的伝承の全体に立っているのだということを示しました。私たちが唱えている使徒信経もグノーシス主義やマルキオンの異端への対応から生まれたものです。

マルキオンは、この世界を、それを創造した旧約聖書の神と共に否定的に見て、人間の救済をそこから救い出されることと考えます。ここにはグノーシス主義の思想に通ずるものがありますが、グノーシス主義の場合と違って人間の中に救われるべき「神的本質(魂/本来的自己)」があると見ず、従って人間には救われるべき所以などなく、イエス・キリストの福音によって一方的に救われるのだ、と教えました。イエスは、旧約聖書の神ではなくて、それまで知られていなかった善なる神によって遣わされたのだとされました。マルキオンの教会は、主流教会から異端とされましたが、5世紀頃まで存続したことが知られています。

マルキオン的な主張は近現代の教会でもしばしば聞かれます。「ユダヤ教は民族宗教で、キリスト教は普遍宗教だ」、「ユダヤ教は物質的で、キリスト教は霊的だ」、「旧約の神は戦いを好み、嫉妬し、報復し、裁く神で、新約の神は平和を好み、全てを無償で与える愛の神だ」等と(例えば、ドイツの代表的な自由主義神学者であったアドルフ・フォン・ハルナック(1851-1930)、遠藤周作の盟友で『日本とイエスの顔』(1976)等の著作で知られている井上洋治神父(1927-)など)。

しかし、エビオン派とマルキオンという対極的な両者が共にそう見たように、そもそもパウロは旧約聖書が啓示した道から離反した人、旧約聖書の宗教とは非連続的な「キリスト教」の神学的基礎を作った人なのでしょうか。パウロの神学とマタイ福音書の神学は、対立するものなのでしょうか?

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