洗礼者ヨハネをめぐって :: 海辺のノート

洗礼者ヨハネをめぐって

27. December, 2013 • 0 Comments

【初代教会におけるユダヤ主義の分離 -2(2014/1/1週報のコラム)】

洗礼者ヨハネの記事は四福音書全てにあって、イエスさまの公生涯の直前に記されています。しかし、各々で少しずつ違う捉え方になっています。

マルコ福音書とルカ福音書では、ヨハネの洗礼は「罪の赦しを得させるための悔い改め」の洗礼ですが、マタイ福音書では「悔い改め」の洗礼です。赦しはイエスの十字架での贖いによって初めてもたらされるということが明確にされているのです。ヨハネ福音書では、「この方がイスラエルに現れるために、わたしは、水で洗礼を授けに来た」(1:31)と言われ、罪の悔い改めや赦しについては言及されません。ヨハネは「洗礼者」とも呼ばれず、あくまでも「光について証しをするために来た」(1:8)という位置づけで、共観福音書の場合と違ってイエスさまがヨハネの水による洗礼を受けたことも記されず、ヨハネの水による洗礼とイエスさまの聖霊による洗礼との区別、断絶が強調されています。

また、遅く成立したものほど、イエスさまと洗礼者ヨハネの関係を遠いものとしている傾向が見られます。最も早いマルコ福音書では洗礼者ヨハネはイエスさまの働きにそのまま繋がる先駆者として位置づけられています。それに対して、マタイやルカは洗礼者ヨハネはイエスをメシアとして受け入れた者ではなかったとする共通の伝承を含めており(マタ11:11、ルカ7:28)、最も成立が遅いヨハネ福音書では洗礼者ヨハネは「わたし(ヨハネ)はこの方(イエス)を知らなかった」(1:31)と語って共観福音書の洗礼記事では暗示されている師弟関係が否定されています。背景には、イエスさまに従った洗礼者ヨハネの弟子がいた一方で(使徒言行録18:24-19:6、ヨハネ1:35-37等)、ヨハネをメシアと崇める独自の群れを作った人々もいて、イエスさまの弟子たちと敵対的な関係になっていったことがあるようです。ヨハネ福音書冒頭の「初めに言があった…」という賛歌も、元来は洗礼者ヨハネの弟子たちの間で、洗礼者ヨハネを言、光であると礼賛して歌われていたものを、そうではなくて言、光について証しする者だったのだと彼らへの批判に転用したのだ、とする説があります。ヨハネ福音書の共同体に、洗礼者ヨハネの弟子であった人たちがいたことがうかがわれます。

なお、詳しい経緯は分かっていませんが、後に第二次ユダヤ戦争(132-135年)に敗北し、エルサレムから割礼のある者全てが追放されて、シリアに流れていったエルサレム教会のユダヤ人クリスチャンやエッセネ派、洗礼者ヨハネの弟子たちが合流して「エビオン派」が形成されました。

エビオン派は、マタイ福音書を修正して作ったエビオン人福音書を用い、律法遵守を強調し、洗礼者ヨハネと主の兄弟ヤコブを高く評価し、パウロを真の信仰からの離反者として批判して、キリストは最初から神の子であったのではなく、律法を全うしたその高潔さのゆえに神の子とされた預言者であったと主張しました。また、エッセネ派のように(このことから合流が想定されるわけですが)、動物の犠牲は否定し、善と悪の原理が存在して、それが神に由来すると考えたことが知られています。

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