ファリサイ派の「伝統主義」

17. 12月, 2013 • 0 Comments

【”ユダヤ教”とキリスト教 -4(2013/12/25週報のコラム)】

ユダヤ教(ラビ・ユダヤ教)は、キリスト教よりも遅く、ユダヤ戦争の後に時間をかけて成立したものだ、ということを前回は書きました。

そのラビ・ユダヤ教を形作ったファリサイ派が閉鎖的な伝統主義であったと説明されることがありますが、それは誤解です。そう見られるのはおそらく、ファリサイ派の人々がイエスさまに向かって、なぜイエスの弟子たちは「昔の人の言い伝え」を守らないのか、と尋ねた箇所などが元になっているのでしょう(マタイ15:1-20)。しかし、そこで問題にされたのは、古代からの宗教伝統ではなく、口伝律法(ハラハー)だったのであって、口伝律法は前300年以後に都市のヘレニズム文化の中で生まれたものなのです。

アレクサンドロス大王(在位 前336-323年)が大帝国を築き、ギリシア文化がオリエント的諸要素と結合して、ヘレニズム文化が生まれました。パレスチナでも人的、物的交流を通じてヘレニズム化が進み、前175年に大祭司となったヤソンや前172年に大祭司となったメネラオスは、セレウコス朝シリアの圧力の下、エルサレムのヘレニズム化を強力に進めました。アンティオコス四世エピファネス(前175-164)がエルサレム神殿にゼウスの祭壇を作り、宗教までもギリシア化しようとするに至って、反乱が起こり(マカベアの乱)、独立が勝ち取られ、ヘブライ人の最後の王朝、ハスモン朝(前140-37年)が成立します。反乱を担ったのが敬虔派(ハシディーム)で、その流れからファリサイ派やエッセネ派が生まれます。

やがて国が安定するにつれて既にヘレニズム化していた社会の在り方に応じた法律が必要となりましたが、古来の律法解釈では間に合わず、ファリサイ派の学者たち(ハハミーム)がギリシア的な論理によって(*)律法から演繹して導き出した新しい解釈が「モーセ以来の口頭伝承=“昔の人の言い伝え”」として権威付けされ、広められることになりました。ただし、ファリサイ派はサロメ・アレクサンドラ女王(在位 前77-67年)の時代にサンヘドリン(大法廷)に議席を得て権力に近づきはしたものの、律法を法的秩序の基礎、統治の原理とすることには部分的にしか成功せず、道徳的掟として位置づけるようになっていきます。

ともあれ、口伝律法は、新たな社会秩序が必要とされた状況下で、ヘレニズム化に抗して日常生活のあらゆる場面で律法に忠実であろうとする努力から生まれたものでありながら、それ自体はギリシア的思考の助けを借りて生み出された“斬新な”ものであったのです。

(*) 参考文献:『パリサイ派とは何か』(J.ニューズナー, 1979)など。「…用語の並行は別な事柄であり、この点でわれわれは、ラビ的聖書釈義の最も重要な用語の一部がギリシア人から借用されている、とのリーバーマン教授の証明に行き着くのである。…ウォルフソン教授が哲学とラビ思想の内容との間に存在することを示した一連の驚くべき並行をそれに帰することはいかにももっともなことなのである。」(p.46)

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