初代教会のアイデンティティ

10. 12月, 2013 • 0 Comments

【”ユダヤ教”とキリスト教 -1(2013/12/8 週報のコラム)】

四つの福音書のうち、マタイ福音書とヨハネ福音書はユダヤ人クリスチャンの教会において成立し、特にマタイ福音書はヘブライ的な文章作法、言葉遣いが特徴的です。両福音書を読む上で、その背景として重要なのが“ユダヤ教”とキリスト教との関係です。その理解抜きには、福音書に記されている“ユダヤ人”批判の意図を誤って読んでしまいかねず、容易に反ユダヤ主義に囚われてしまうからです。

使徒言行録11:26に、「このアンティオキアで、弟子たちが初めてキリスト者(クリスチアノス)と呼ばれるようになったのである」と記されていることから知られるように、「クリスチャン」という言葉は、他のユダヤ人から区別される者としての自らの呼称あるいはアイデンティティを表す言葉として、クリスチャンが自ら使い始めたわけではありませんでした。同様な他者からのクリスチャンの呼称には、「ナザレ人」という言葉もありました(”Nasraye”はメソポタミアの教会では13世紀まで自らの呼称として使われました)。初代教会のキリスト者自身は、自らのことを、「この道」に従う者と言い表していました。

使徒言行録24:14の「私は、彼らが『分派』と呼んでいる<この道>に従って、先祖の神を礼拝し、また、律法に則したことと預言者の書に書いてあることを、ことごとく信じています」というパウロの言葉によく言い表されていますが、初代教会の信徒たちは、自分たちが従っているイエスが示した在り方を「この道」と呼び、それこそが父祖から継承した信仰の道であると理解していたのですし、ローマによってエルサレム神殿が破壊される前は、使徒言行録に記されている通り、ユダヤ人クリスチャンたちは神殿での礼拝も捧げていたのでした。エルサレム教会の柱となったイエスの兄弟ヤコブが、律法を忠実に守る義の人としてユダヤ社会で広く尊敬を集めていたことも知られています。また、彼らは、以前と同様に、シナゴーグに所属して、そこでの礼拝生活を続けていました。伝道はほとんど常にシナゴーグが足場となっていました。

ちなみに四世紀後半に至ってもなお、シリアではクリスチャンがシナゴーグにも出入りし、自らの信仰を“ユダヤ人”のそれと区別せずにいたことが、388年のヨハネス・クリュソストモスの説教から知られます。クリスチャンは、自らのことを新しい宗教に改宗した者などと考えていなかったのはもちろんのこと、「分派」活動しているとも考えていなかったのです。

「もし何人かがあなたの息子を殺すなら、あなたは…その殺害者の挨拶をまともに受けることができようか。子を十字架にかけた悪魔そのものである殺害者から、身を遠ざけないでいられようか。…そうした殺害者たちが祈っているところこそシナゴーグであり…、腐敗と悪徳の深淵である。…多くの人々がユダヤ人を尊敬し、彼らの生活に敬意を抱いていることを私は知っている。こうしたとんでもない信徒たちの考え方を根本から絶やすことを、私は自分の急務としているのです。」(CE388年、ヨハネス・クリュソストモスの説教)

四世紀の教父の文書で(エルサレムのキュリロス等)、「ユダヤ人」という言葉が実はユダヤ人クリスチャンないしはユダヤ主義のクリスチャンを指して使われている場合がある、ということも指摘されています(『パウロの政治神学』,ヤーコプ・タウベス, p41)。第二次ユダヤ戦争(132-135)が終わる頃には教会はすっかり異邦人化していた、という見方が一般的ですが、実際にはユダヤ教とキリスト教の分離はそんなに早く進んだわけではなかったのです。

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