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想定外?

2. 9月, 2013 • 0 Comments

聖霊降臨後第15主日(C年 特定17)シラ書10:12

「高慢の初めは、主から離れること、人の心がその造り主から離れることである。」(シラ書10:12)

IMGP0239_2この2週間、横浜教区、米国聖公会ナバホ・エリア・ミッション、フィリピン聖公会北フィリピン教区、三教区の青年交流プロジェクトで留守に致しました。これは三年間行われるプロジェクトで、今年は日本で行われました。来年はフィリピンで、再来年はナバホランドで行われる予定です。プログラムの中心は、東日本大震災の被災地の巡礼と奉仕活動でした。仙台をベースにして、福島県北端の新地町と宮城県の南三陸町および石巻市を訪ねました。今日は、その中で学んだことを、シラ書10章12節の言葉を導きの糸として、お話しします。

9月1日は、日本では関東大震災に因む「防災の日」で、全国各地で防災訓練などが行われる日となっています。1960年に「防災の日」として制定される前は、関東大震災犠牲者の慰霊祭が中心だったそうですね。型どおりの訓練をするよりも、亡くなった方々のことを覚えることの方が、結局は「防災」にも繋がるのではないかということを考えさせられています。誰がどのように亡くなったのか、ということを知れば知るほど、地震そのものが直接の死をもたらしたのではないケースが多いことが分かってくるからです。

「防災=災害を防ぐ」ために最も肝心なこととは何でしょうか。備え、でしょうか。では、その備えとは具体的には何でしょうか。教訓、でしょうか。あるいは、訓練、でしょうか。

皆さんもテレビなどでお聞きになったかもしれませんが、津波の被災者がそろって口にされたのが、1960年のチリ地震によって起きた津波の経験でした。津波被災者の皆さんが痛悔しながら口にされたのは、その教訓を忘れていた、ということではありませんでした。逆に、その経験のために、かえって安全を過信してしまった、という反省でした。あの時、ここは大丈夫だった、今回も大丈夫だろう。あの時に比べて、今は堤防もできているし、ここは安全だろう。そんな思い込みのために、避難が遅れたり、避難する場所の判断を誤ったりしてしまったと、悔やんでも悔やみきれない思いをしている、ということでした。日本聖公会の被災者支援センターしんちで、最初に津波に襲われたときの映像をその撮影者の方にビデオで見せていただいたのですが、そのタイトルは「過信」と付けられていました。決して教訓が風化していたわけではなかったのです。南三陸町には、あちこちにモヤイ像があって、何かと思ったら、チリ地震の時にチリから送られたものでした。そのように目に見える形でも、50年前の経験の記憶を保つ努力が為されていたのです。

「教訓」は、たしかに大切です。東日本大震災でも、過去の津波の経験に基づく教育を徹底して子どもたち全員が自主的避難によって無事だった釜石小学校の例や、地震直後に高台に避難させて子どもたち全員が無事だった門脇小学校の例などがありました。しかし、逆に、教訓というものは、過去の経験に基づいている分、限界もあって、それに囚われてしまうとかえって、仇になるのです。

「訓練」については、どうでしょうか。新北上川河口から約5kmの場所にある、石巻市の大川小学校も訪ねたのですが、ここでは、児童108名中74名が死亡し、教職員13名中10名が死亡しました。二年半経った今も津波の爪痕も生々しい姿のまま、校舎が残されていますが、それ以上に苦しい思いにさせられたのは、この84名の死は防ぐことができたはずではないか、とどうしても思わされてしまったためでした。地震が起こって、先生たちは子どもたちを校庭に集めました。おそらく普段から訓練している通りに、すばやく退避したのでしょう。しかし、その後、50分間もそのままそこに待機させたのです。校庭のすぐ縁が山で、確かに斜面は急なのですが、それでもそれだけ時間があれば十分に全員が待避できるような場所だったのです。先生に、津波が来るから学校横の山に登ろうと訴える子どもたちもいたそうです。実際、助かった30名あまりは、最後の瞬間に斜面に這い上がって助かったのでした。

「訓練」も、たしかに大切です。釜石小学校や門脇小学校で全員が無事だったのも、訓練の賜物でしょう。しかし、訓練もまた、何らかの想定に基づいたものである以上、限界もあって、それに囚われてしまうとかえって、仇になります。大川小学校で何が起きたか、ということは、私たちにもある意味では容易に想像できます。日本全国の学校で行っている防災訓練に忠実に従った行動だったと思われるからです。私が30数年前に小学校で繰り返し経験した防災訓練は、サイレンがなると、慌てず、騒がず、速やかに校庭に出て、整列し、点呼して人数を確認するというものでした。先生たちが気にするのは、何分でこれを完了できたか、ということでした。そうやって校庭に集まると、それで「避難が完了した」ということになっていました。今も、防災訓練というと、その内容は、ほとんど同じようなものではないでしょうか。子どもたちを管理下に保つことに最大の関心があって、そうすれば安全がついてくるという考え方があるようです。大川小学校では、まさにそんな訓練が仇になったのでした。

経験からの「教訓」の過信、訓練や設計の「想定」への安住が、被害を大きくしました。

このことが現在進行形で今も続いているのが、原発事故による被害です。大地の汚染、海洋汚染の問題はますます広がり、原発被災者たちが置かれている状況も時と共にかえって深刻になっています。原発被災者たちは2年半経った今も、この先、どうなっていくのか、どうすればよいのか、何も見通しを立てられないまま、避難生活を余儀なくされています。

今回、新地町の幾つかある仮設住宅の中でも、原発被災者が集まっている雁小屋の仮設住宅を2回訪ねて、アメリカやフィリピンのメンバーが年配の方たちに折り紙を教えていただいたり、子どもたちと遊んだりする時間を持ちました。雁(の)小屋という地名からもご想像いただけるかもしれませんが、他と違って、ここは市街地からだいぶ離れた、周りに何もない森の中に作られた仮設住宅でした。折り紙を折ったり、遊んだりしながら、お話をして、分かったことは、ここにいる方たちは、もう六回も、七回も避難生活をする場所を変えることを強いられてきた方たちだ、ということでした。しかも、津波被災者の仮設の場合と違って、それぞれの家族で事情が全く違っていて、そこでひとつの共同体を作るのも困難な中にある、ということでした。自主退避の人もいれば、強制退避の人もいます。知らない人同士が共に住み始めるとき、しばしば子どもたちが人間関係を築き始めるきっかけを与えてくれるものですが、ここでは入居した時期によって、子どもたちは3つか4つの別々の小学校に入れられているので、それもなかなか難しい状況です。どの小学校も仮設から遠く離れていて、親が毎日それぞれの学校に車で送迎しなければなりません。ただでさえ大変な生活なのに、その上に幾重にも重荷を背負わされているのです。原発事故による被害は、何も収束していない、今も拡大中なのだ、ということを強く思わされました。

原発の事故では、しきりに「想定外」という言葉が聞かれました。まるで、「想定外」だったから責任はないとでも言わんばかりに、「想定外」「想定外」と口にされています。この「想定外」という言葉こそ、問題の核心を表しているのではないでしょうか。この言葉は、そもそも「想定ができる」ということを前提にしています。しかし、地震や津波の力であれ、放射能の力であれ、どれほど科学技術が進んだとしても、どんなに遠い未来になっても、決して人類がそれらを支配できるようにはならないことは明らかなのです。その単純な事実に目をつぶって、自分たちに支配できないものを支配できるかのように考えるところから、「想定外」という言葉が出てくるのです。これは創造主に対する高慢でなくて、何でしょうか。

hakusyo_graphここ四〇年間で世界的に災害は頻度が増し、規模が大きくなりました。しかし考えてみれば当然なことなのですが、地震、津波、台風、洪水といった自然現象の発生頻度は変わっていないのです。変わったのは人間社会の在り方です。誤った想定、あるいは、できるはずのない想定に立った安全神話、安全対策の上に作られている私たちの生活が、災害を引き起こし、大きなものにしているのです。現実には脆弱性が飛躍的に高まっているにもかかわらず、人間が生きる環境は昔と比べて安全度がはるかに高くなっているという思い込みに私たちは支配されているのです。

今日読まれたシラ書には「高慢の初めは、主から離れること、人の心がその造り主から離れることである」とありました。ヨブ記で、ついに口を開かれた神はヨブに言います。「これは何者か。知識もないのに、言葉を重ねて神の経綸を暗くするとは」と。

過信していた、という被災者の証し、痛悔の言葉を、わたしたちは、自らへの問いとして心に刻みつつ、ヨブと共に、神に答えなければならないのではないでしょうか。

「そのとおりです。わたしには理解できず、わたしの知識を超えた驚くべき御業をあげつらっておりました。」と。

「防災」への取り組みで最も肝心なことは、創造主である神の前に謙虚に立つことではないでしょうか。人知が及ばない創造のみ業への畏怖を持つことではないでしょうか。その上で、社会の在り方、生活の在り方、安全について前提にしている考えを見つめ直し、そこから備えが生まれ、訓練も意味ある形でできるようになるのではないでしょうか。

※災害に関するデータ:http://www.unisdr.org/we/inform/disaster-statistics

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