世界YMCA同盟とパレスチナ問題

18. October, 2011 • 0 Comments

※ Facabookでのやりとりで世界YMCA同盟のパレスチナ問題に関する姿勢を質問されて書いた文章です。ストレートな返答にはなっていませんが、その所以は読んでくだされば分かって頂けるかと思います。


私は世界YMCA同盟で、緊急人道支援のコーディネートと、国連経済社会理事会の協議資格を持つNGOとして国連に関わる様々な会議への参加のコーディネートを主に担当しました。パレスチナ問題は「緊急人道支援」の枠組みではなくて「人権問題」あるいは「紛争の中にあるYMCAとの連帯」といった枠組みで捉えられていましたから、主担当は私ではなく同僚のランジャン・ソロモンでした。東エルサレムYMCA、ヨルダンYMCA、エジプトYMCAを訪ねたことはありますが、駐在はしていません。

私がいた2001-2004年は世界YMCA同盟にとって、150年の歴史の中でもおそらく最大の転換期になりました。本来は世界大会のための事務局として始まったものの、第二次世界大戦前までは実は北米Yは国際的な働きを世界Yをほとんど無視するような形で行っていたことはご存知かと思います(世界各国への主事の派遣を世界Yでの調整なく行い、また運営資金の拠出をしていませんでした)。J.R.モットをはじめ、世界Yに貢献した北米Yの人たちはいましたが、かれらは個人ベースでの貢献でした。それが、2度の大戦でヨーロッパのYMCAが壊滅的被害を受けて、その復興のための働きをする機関として北米Yは世界YMCA同盟を用いるようになり、多くの資金を世界Yを通じて流すようになりました。続いてアジア、アフリカの国々が独立していく中で、難民支援の働きが、それらの国々にYMCAを作ることに繋がるような形で、北米Yからの資金で、世界YMCA同盟を中心にして進められました。ちなみに、これは、組織のレベルで見れば、キリスト教のミッション理解あるいは人道主義的モチーフが主たる基盤になっていたとは言えません。冷戦構造の中でアジア、アフリカ、ラテンアメリカに親米的な民間組織を作ることが国策として進められていました。北米YMCAも米国のODA(USAID)をバックドナーとして「難民支援」をやっていたわけです。(※ エクアドルYMCAは、その50周年記念誌に、かつて北米Yから来ていた職員がCIAのエージェントであったことを明かす記事を掲載したと聞きました。イラクにあったYMCAはスパイが出入りしていることを疑われてサダム・フセインにつぶされましたが、濡れ衣ではなかったのでしょう。)

ところが、第三世界の国々のYMCAは、成長するにつれて、与えられるばかりの援助ではなくて、開発を求めるようになり、さらに社会変革のためのアドボカシーに取り組むようになりました。1980年代には、それが世界のYMCA運動の大きなアジェンダとなりました。パレスチナ問題は、まさにそのような文脈で焦点が当てられるようになったもののひとつです。東エルサレムYMCAは、イスラエル建国で発生したパレスチナ難民キャンプの中で誕生したYMCAですが、いわゆる「パレスチナ問題」という形で、東エルサレムYMCAとの連帯を世界のYMCAが進めるためのコーディネートをするようになったのは、この頃のことです。ちょうど第一次インティファーダが起こったことで世界の人の見方も変わってきたことも、この動きを助けたと思います。

そして、このような第三世界からの異議申し立てを受けるようになって、北米Yは世界Yから手を引こうとし始めました。ターゲットになったのは難民デスクでした。世界Yにとって、それは単に幾つかある内の一つのデスクだったわけではなく、財政的にも、運動の発信源としても、要になっていたデスクだったからです。それは1992年に決定し、1995年に閉鎖されました。ちなみに、私はこの閉鎖されたデスクが担っていた緊急支援の調整機能がやはり必要だということで設けられたデスクで働くためにジュネーブに行ったわけですが、こうした複雑な政治的な闘争の渦中にポッと投げ入れられた、ということだったのでした(北米Yだけでなく地域同盟もこの設置に対して異論をもっていて、最低限のコンセンサスと言えるものがありませんでした)。北米Yは、難民デスクを閉鎖するだけで満足したわけではなく、それを設けていた時に作り上げられたような世界YMCA同盟のあり方を丸ごと変えることを目的にしていました。そこで利用されたのがパレスチナ問題でした。

結果として、世界YMCA同盟は、世界のYMCAがキリスト教エキュメニカル運動としての求心力を作り出す場ではなくなって、組織的に脆弱なYMCAを世界のYMCAが協力して強化するための機関ということになりました。今の世界YMCA同盟は、もうかつてとは全く異質な組織です。ホームページも一新されました。パレスチナ問題についての取り組みに関してもかつては貴重な情報を載せていましたが、全て消されました。世界大会の決議も直近のもの以外は掲載されておらず、過去がすっかり消去された組織になってしまいました。

第二次インティファーダが起きて間もない時期に世界YMCA同盟は国際調査団を派遣し、その報告を2000年11月にホームページに掲載しました。それを発見したサイモン・ヴィーゼンタル・センターをはじめとするシオニスト団体が世界YMCA同盟を反ユダヤ主義を広めるキャンペーンを行っていると非難するキャンペーンを世界中で展開し、とくに北米YMCAはその圧力を受けて(あるいは、それを利用して)、世界YMCA同盟に脱退を突きつけ、世界YMCA同盟の担う機能の全面的な見直し、ホームページにそれまで掲載していた情報の削除、スタッフの入れ替えを要求し、結局はそれを成し遂げたのでした。私がいた2001~2004年は、この騒動の始まりから終わりまでとほぼ重なっているのです。

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