政治的殺害(6) 諸調査の結果と今後の課題

2. April, 2007 • 0 Comments

2007年1月30日、メロ委員会は大統領に報告を「正式に」提出した(実際にはもっと早く提出されていた)。

メロ委員会の報告は、政治的殺害を命ずるような国家政策は存在せず、アロヨ大統領の「全面戦争」宣言は政治的殺害の激増には無関係であると断定的に述べて反乱鎮圧政策や大統領の責任に言及をせず、また犠牲者の遺族やカラパタンなどの政治的殺害の問題を追及する諸団体の協力拒否が真相究明を妨げていると非難し、協力拒否はそれらが「共産党のフロント組織」だとする国軍の主張を証しているようなものだとまで言って批判している点では、従来の政府の主張と同一線上のものであった。

しかし、国軍や国家警察による説明、すなわち超法規的処刑の多くはNPAの粛正によるという主張については、論理が矛盾しており、示されている証拠は信頼できず、劇的な増加を説明することもできないし、そもそもパルパラン元少将さえも殺害がCPP-NPAによるものだとする理由はないと言って否定している、とした。その上で、考えられる唯一の説明は、国軍の分子や国軍に繋がる者に責任があるとするものであって、実際、殺害の多くはよく組織され、十分に装備された者による犯行と見られ、組織的、計画的にそれを行うことができるのは国軍だけであり、国軍には申し立てられているような殺害を行うために必要な全ての条件が揃っており、また国軍が駐留している地域で殺害が起こっている事実は否定できないとした。そして、ホビト・パルパラン元少将は本人が認めた公の場での発言だけをもってしても「指揮命令の責任」が問われるべきであること、反乱鎮圧政策が法の支配と一般市民の命を犠牲にすることは許されないことを強調して、報告は締めくくられている。

「共産主義者の反乱は対処されなければならないが、それに対する戦いは憲法と法律を犠牲にしてはならず、強調するまでもないことだが無実の市民の命を犠牲にしたものであってはならない。軍隊は、国家の内部にある国家ではなく、その構成員は憲法および諸法令の支配の外に置かれているわけではない。我が国の政府は、人の支配でなく、法の支配を原理としている。」(メロ委員会報告79頁)

「人々に対して国家の敵であると宣言することは、事実上、有罪を宣告することであり、そのような宣言を行った者たちは法廷と行政執行機関が持つべき権力を不当に自らのものにして使ったのである。」(同報告82頁)

同日、アロヨ大統領は、メロ委員会の報告を受けて、以下の6項目の実施を命じた:

◦メロ委員会が、政府諸機関と協力して活動を継続すること。
◾ 国防省と国軍が、その指揮命令の責任の原則に関して報告すること。
◾ 司法省と国防省は、国家人権委員会と協力して、共同の事実調査団を組織し、原因不明の殺害事件への関与が申し立てられている軍関係者について追究し、起訴すること。
◾ 司法省は、思想信条や政治に関わると思われる原因不明の殺害事件の全ての証言者が含まれるように、証言者保護プログラムの対象を拡大すること。
◾ 最高裁判所は、思想信条や政治に関わると思われる原因不明の殺害事件を扱う特別法廷を設置すること(各地の既存の裁判所の中で政治的殺害のケースを優先的に扱う法廷を指定する)。
◾ 外務省は、欧州連合、スペイン政府、フィンランド政府、スウェーデン政府に対して、メロ委員会の働きの支援を求める提案書を送ること。

ただし、このメロ委員会の報告は公開されず、上院は公開要求を決議。その翌日、2007年1月31日に大統領が行った演説では、「政治的殺害の多くがNPAの粛正による」という国家警察の特別捜査班の調査結果が強調された。それはメロ委員会の調査によって明確に否定されているにもかかわらず、である。また「共産主義者のフロント組織が報告する件数と警察の記録の間には矛盾があり、殺害されたはずの2人が生きていた事実が判明した。人権の尊重を謳う者によるそのような行為にはがっかりさせられる。そのことが意味することを十分に受けとめなければならない」と言って、政治的殺害に関するキャンペーンで中心的な働きをしてきたカラパタンを批判、誹謗した。

2007年2月21日、国連人権理事会のフィリップ・アルストン特別報告者は10日間の調査を終えて記者声明を発表し、超法規的殺害に対するフィリピン政府のばらついた対応を指摘した。「最高首脳レベルでは問題の深刻さを認めているが、行政府の責任者レベルでは見解が分かれて満足のいく対応でないことも多く、行政の現場レベルでは申し立てに対して憤慨の入り混じった疑義が立てられることがあまりにも多かった」。

そして今後の課題として以下の6点を挙げた:

◦ 国軍がその関与が明白である数多くのケースに対して責任ある対処の必要があることを完全に否定し続けている態度を改めること。
◾フィリピン政府は1月下旬に提出を受けながら公開を拒んでいるメロ委員会の報告を直ちに発表すべきであること。
◾ 政府諸機関が説明責任を果たしながら働く在り方を回復する必要があること、特別捜査班ウシッグとメロ委員会の報告は十分でないこと、2005年9月26日に出された大統領令464号が大統領の許可なしに閣僚、警察、国軍、治安関係の責任者が議会で証言することを禁止していることで、議会による調査が非常に難しくなっていること。
◾ 不処罰の文化が蔓延して司法のシステムが機能していないこと、それは治安維持の責任者がしばしば犯行に関わっていることが疑われていることもあって証言に立てば殺害されるといった恐れが一般化しているためであること。
◾ 「左派団体」の合法的な政治活動を認めること、議会ではパーティーリスト制や反国家転覆法の放棄が覆されていないにもかかわらず、ラモス政権時代の和解政策はすっかり放棄され、政権が国軍の支援によってパーティーリスト政党の活動を妨害していること、NPAの打倒よりはフィリピン共産党が掲げる政策を支持する合法的諸組織を潰そうとするものであり、それが現場では超法規的処刑に訴える結果になっていると見られること。
◾ 反乱鎮圧政策を見直す必要があること、近年の超法規的処刑の増加は、幾つかの地域での反乱鎮圧の戦略が原因となっており、左派団体の中傷や指導者の脅迫が超法規的処刑にエスカレートしていると見られること。

この記者声明について、フィリピン政府の司法長官をはじめとする閣僚たちは、「アルストン氏は共産主義者に洗脳された」「政府の立場を理解していない」「特別報告者は国連の中で大した権威を持っているわけではない」などと放言を繰り返し、拒絶の態度を露わにした。アロヨ大統領も、国際社会に対して取り組んでいることを示すための「命令」を出しつつも、実際には国軍や国家警察の戦略に依拠した発言を続けており、政治的意思の誠実さが疑われよう。申し立てられている内容を矮小化して取りたてて騒ぐような問題ではないとアピールし、政治的殺害の犯行責任についてはNPAの内部粛正説と国軍内のごく少数の犯罪的分子への責任転嫁し、犯人が一向に裁かれないことについては目撃者、遺族、および独自調査を行った人権団体の非協力が原因であると責任転嫁して切り抜けようとしているのである。

そのような政府に対して、カラパタンをはじめとする政治的殺害に関する抗議行動を行ってきた諸団体や遺族が協力を拒絶し、国連人権理事会やILOによる調査と勧告、常設民衆法廷による道徳的援護など、国際社会の介入に期待を寄せる行動を取り続けているのは無理のないことのように思われる。政治的殺害に関する裁判が進むように各地に特別法廷を設けたといっても、そもそも基本的な捜査さえもろくに行われてこず、関与が完全に明白であるケースについてさえも国軍は関与の否定を続けているというのに、いかにして告訴が実現するというのだろうか。

5月に予定されているアルストン特別報告者による最終報告の結果、どのような決議が取られようとも、それに強制力はない。しかし、決議ばかりが積み重ねられた観のあった人権委員会に替わって国連の人権に関する働きの強化を目的に設置された人権理事会において、自ら立候補して理事国になった比政府には特に厳しく説明責任が求められていることを、国際社会は示さなければならないだろう。同じく理事国である日本は、国連改革の観点からも、比政府に対する働きかけを考えることが求められているのである。

なお、アルストン特別報告者の10日間の滞在中、フィリピン政府が犠牲者遺族からの聞き取りのために組んだスケジュールは2月14日の丸1日と、バギオ市とダヴァオ市への短い訪問だけであった。犠牲者遺族からの聞き取りが行われる場所は秘密にされていたが、当日は爆弾をしかけたという脅迫があって警察犬が投入されたり、聞き取りの最中にジャーナリストと称する男が犠牲者の家族との面会を求めてくるなどの不審事が続いた。なお、その男が連れだってきた1人は後にカラパタンによって国家諜報調整局(NICA)員と確認されている。また、アルストン氏の訪比直前の2月8日と滞在中の2月15日にも政治的殺害が起こり、また3月10日にはアルストン氏に証人として会った女性が殺害され、まるで国連特別報告者の訪比を嘲笑うかのように政治的殺害は続いた。

2007年3月6日、「人間安全保障法」という名のテロ対策法が成立(実施的な実施は2007年7月から)。

2007年3月14日、政治的殺害に関して米国上院外交委員会で公聴会が開かれ、エリック・ジョン米国務省副次官補はフィリピン国軍の関与と大統領に指揮命令責任があることを明言、24日には4月にフィリピンを訪問することを発表した。

2006年2月15日の逮捕以来、アナクパウィス党のクリスピン・ベルトラン下院議員の監禁が続いているが、2007年3月16日にはバヤンムナ党のサトゥル・オカンポ下院議員が逮捕された。22年前のNPAによる粛正事件への関与が容疑内容である。しかし、当時、戒厳令下でオカンポ氏は軍によって監禁中であって関与できるはずがなく、「最近になって発覚した」とするその粛正事件自体も政治的殺害に関する国軍の対処戦略と5月の選挙を控えての野党を分裂させる戦略が見え透いていて、でっち上げの疑いが強い。

オカンポ氏が逮捕された数時間後、バギオ市にあるフィリピン士官学校でアロヨ大統領はテレビカメラと卒業生に向かって、「世界が注目しているのはフィリピンの素晴らしい経済成長ばかりでない。テロの脅威を防いで民主主義が機能するようにしている私たちの働きも注目を浴びているのである」と述べたのであった。

「まるで強盗にでも向かうように、剣や棒を持って捕らえに来たのか。わたしは毎日、神殿の境内に座って教えていたのに、あなたたちはわたしを捕らえなかった。」(マタイ26:55-56)…アルベルト・ラメント師父を偲びつつ。

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