政治的殺害(5) 国際的な関心の高まりと比政府の対応

2. April, 2007 • 0 Comments

フィリピンで悪化する人権状況に国際的な関心が高まり始めたのは、ルイシータ大農園の虐殺事件の頃からではないだろうか。私の場合は、たまたまその約1週間後にミンダナオで開催された「いのちのための平和・民衆会議」で、アルベルト・ラメント師父から生々しい現場の証言と共に「マルコスの時代でも、現在ほど公然と国家が民衆を殺戮することはなかった」と聞いて、アロヨ政権下の人権状況に注目するようになった。

2005年1月に入ると、毎日のように誰かが殺害されたという知らせがフィリピンから入るようになった。2月1日、アムネスティ・インターナショナルは、「殺害事件の頻度が2000年以降、年々上がっており、2005年に入って最初の数週間で急に増え、新聞報道によると少なくとも34人が殺されている」と警告した。

急増する政治的殺害を受け、フィリピンの様々な市民団体が海外からも弁護士や活動家を招きながら個々のケースに関する事実調査団を共同で組織し、また国際ジャーナリスト連盟(IFJ)の事実調査団(2005年1月)、世界教会協議会(WCC)の連帯訪問団(2005年7月)、オランダとベルギーの法曹関係者による調査団(IFFM)(2006年6月)、国際小作農連帯訪問団(IPSM)(2006年8月)などが現地に入って報告を出し、アムネスティ・インターナショナルが2006年8月にフィリピンで続く政治的殺害に焦点をあてたレポート(ASA 35/006/2006)を出して国際社会の注意を喚起した。また各国の諸教会や人権団体などによる調査団の派遣(日本キリスト教協議会(NCC)-2006年7月、香港の市民団体合同調査団-2006年7月、カナダの市民団体合同調査団-2006年11月など)、懸念の表明が続いた。

国内外の圧力が高まる中で、アロヨ大統領は、2006年5月13日、「10週間以内に、10件の政治的殺害について立件し、10人の容疑者を逮捕せよ」と命じて、内務自治省に政治的殺害に関する国家警察の働きを統合する特別捜査班ウシッグ(Usig)を設置させた。

2006年7月24日には教書演説で政治的殺害を「最も厳しい言葉で非難」。ただしその演説の直前箇所で、多くの政治的殺害を引き起こした元凶と目されるホビト・パルパラン少将を反乱鎮圧の貢献者として高く賞賛。

さらにアロヨ大統領は2006年8月21日、政治的殺害を調査するメロ委員会を設置した。政治的殺害を引き起こしていると疑われている反乱鎮圧政策の実行組織(国家警察と国軍)に「調査」を命じたり、その責任者に栄誉を与えたりするアロヨ大統領のやり方に批判が高まったため、「独立性の高い」調査機関を設置することで取り組みの公正さをアピールしようとしたのである。

しかし、委員長に任命された元最高裁判事ホセ・メロ氏はアロヨ大統領と親しい間柄と見られていることなどから、メロ委員会は特別捜査班ウシッグと同様に、犠牲者の関係者やカラパタンなどからの協力を得ることに失敗。国家人権委員会の委員長さえも「召還令状」によって証言を求められたことを皮肉り、その姿勢に疑問を表し、国家人権委員会が記録する犠牲者数への質問に対して犠牲者数よりも犠牲者に関する情報に関心を持つべきであると批判した。また、これほど多くの超法規的殺害が起きているにも関わらず誰一人として告訴されていないことを指摘した。

各国政府も公の場で取り上げはじめ、2006年9月、アロヨ大統領の訪欧を機に、欧州連合理事会や欧州各国政府がフィリピンで続く政治的殺害と強制的失踪に対して懸念を表明。フィリピン政府はそれに応え、特に強く懸念を表明したフィンランドとスペイン、および国連人権理事会に対して調査団の派遣を歓迎すると発表した。フィリピン政府が国連人権理事会の「超法規的、即決的あるいは恣意的な処刑に関する特別報告者」の受け入れを認めたのは、欧州連合による説得が大きかったと言われる。

しかし、その発表にもかかわらず、2006年11月17日、カナダの市民団体の合同調査団が中部ルソン地方のヌエヴァ・エシハ州とブラカン州に現地調査に入ろうとしたところ、重装備の国軍兵士たちに妨害を受けたあげく13時間にわたって拘留され、カナダ政府大使館とフィリピンの法曹連合CODALの働きかけによって解放され、調査断念を余儀なくされるという事件が起きた。カナダ大使は各国商工会議所が1週間前に出した共同声明にも触れながら、「アロヨ大統領は国際社会の声に耳を傾けるべきだ」とフィリピン政府に呼びかけた。

2006年12月、安倍首相が日比首脳会談で、麻生外相が日比外相会談において、経済協力に関する協議の文脈で、「左派活動家やジャーナリストに対するいわゆる“政治的殺害”への日本国内での非常に高い関心を伝えた」。これは従来の日本のアジア外交を考えれば「路線転換」ともとれる一歩であった。背景にある動機としては、北朝鮮による日本人拉致問題を契機として「外交における人権の主流化」が政治的課題となっていること、また人権理事会で「すべての人を強制的失踪から保護する条約」案の採択のために熱心に動いた国として一貫性が求められていることなどが考えられよう。ともあれ、日本でほとんど報道もなかったにもかかわらず、「国内に非常に高い関心がある」と言わせたのは、日本キリスト教協議会、アムネスティ、FoE Japanや、在日フィリピン人、関西、中部の有志ネットワークなどによる署名活動、およびアムネスティ議連の議員による国会質問があったからである。

今、2007年5月の総選挙を前に政治的殺害の激化が予想される状況にあって、比政府の行動を「見守ってきた」日本政府は、2006年12月の懸念表明が実のあるものであったことを示すためにも、早急に次の行動を起こすべきであろう。欧州諸国のように比政府の招待を受けていないとはいえ、比政府は外国政府による直接調査を歓迎すると言っているのである。そのためには、メディアを動かし、議員を動かすことが必要である。昨年までに集まった署名は決して多くはなかった(全て合わせても5千筆以下)。それでも大きな変化をもたらす一石となった。不可能と思われようとも、声をあげつづけたい。

☆ 参考になる文献:『グローカルネットワーク~資源開発のジレンマと開発暴力からの脱却を目指して』(栗田英幸・晃洋書房)
☆「ラプス牧師が殺害されて1年 ~ フィリピン教会協議会声明」(2006年5月12日):http://ncc-j.org/diarypro/archives/125.html
フィリピン・トヨタ労組を支援する会

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