政治的殺害(3) 先住民族、1995年鉱山法と政治的殺害

2. April, 2007 • 0 Comments

農地改革関連に次いで多くの政治的殺害の被害者を出しているのは先住民族で、カラパタンによると75人である(2001年1月~2006年12月)。フィリピン先住民族人権監視団(IPHRW-Philippines)は、同期間に先住民族で殺害が記録されたケースは97人であり(43人がミンダナオのLumad、14人が南タガログのDumagat/Remondado, Mangyan、34人がコルディリェラのIgorot、6人が中央ルソンのAeta)、少なくともこの中の17人は政治的動機による超法規的処刑の被害者であるとしている。

背景には、「全ての天然資源は国家によって所有される」とする憲法に基づき、1995年鉱山法によって先住民族が多く住んでいる土地の投げ売りが始まったことがある。鉱山開発は立ち退きを伴うため、生計手段を奪われ、環境破壊による健康被害が起きるだけでなく、文化・伝統の破壊にもなる。なお、先住民族の土地は都市から遠く離れているためか、事件が起きてもあまり報道されていない。

2005年7月に世界教会協議会の連帯訪問団の一員として私が訪ねたミンダナオ島カラガ州スリガオデルスルでのケースを紹介する。

カラガ州は森林資源と鉱物資源が豊かでありながら、フィリピンで最も貧しい地域の一つである。住民の多くが先住民族のマノボ族であり、農業を営み、山地に暮らしている。外から収奪の手が入ったのは1950年代で、米国系の木材業者が入ってきた。金、石炭、鉄、クロームなどが豊富で、現在、多くの開発が申請されている。

2005年4月1日、スリガオデルスルのハンアヤン村に、突然、58人の国軍兵士が現れた。翌々日、別の部隊の兵士59人が現れ、アンダップ峡谷に向かった。4月4日、国軍兵士が再び現れ、住民を捕まえ、近辺に新人民軍がいないかを尋問。村人3人を強制的に道案内として連れ去った。3人は部隊のキャンプに着くと解放され、家に帰ることを許された。これが前触れだった。

同月28日、兵士を満載した大型トラック11台が現れる。朝8時、3人の村人が兵士に捕まり、新人民軍のキャンプの所在地やメンバーを聞き出すのが目的の尋問が行われた。翌日も別の2人の村人が尋問を受けた。尋問は拷問を伴った。殴られ、蹴られ、着ていた服で縛られ、轡をされ、殺すぞと脅迫されながら、尋問される。「NPAはいるか」「いない」「犯罪者はいるか」「いない」「活発な組合はあるか」「ある」「活発な学校はあるか」「ある」「ならばNPAがいるに違いない」…。4月30日、朝10時頃、村人たちが畑仕事をしていると14人の兵士が現れ、男性と女性・子どもを分け、尋問が始まった。女性と子どもは銃を突きつけられ、生きたまま土に埋めるぞと脅迫された。我々は15人の村人から次々と証言を聞いたが、その中に土に10歳の男の子がいた。素手で自分の墓となる穴を掘らされ、その中に座らされ、ナイフを首に当てられ、「どうせ大きくなったらNPAになるのだから、今殺してやる」と脅されたという。重い口を開き、ポツリ、ポツリと小さな声で話してくれるのを聞きながら、訪問団のメンバーで涙を押さえられる者はいなかった。この子は今でも恐ろしくて畑に出られず、家に籠もる毎日だという。この数日間に理由もなく射殺された者が何人もおり、道案内として連れ去られて未だに行方不明の者(強制失踪)が4人いる。家族は地域の国軍駐屯地を訪ねまわって探しているが、未だに不明である。畑や家を焼かれて失った人、神経に異常を起こした人もいる。

5月3日、2機のヘリコプターが現れ、アンダップ峡谷周辺にマシンガンと爆撃の音が響き続けた。5月9日、村々の強制退去が始まった。合計316家族、2241人が山を降り、教会やカラパタンが避難所を作った。同月17日、地方議会、駐留部隊、教会の代表者、判事らが集まって、「平和と秩序を回復する会議」が開かれ、国軍は強く反対したものの、軍事行動の中止と、住民の帰還が決議された。そして、5月19日から24日にかけて村人たちは家に帰ることができたのである。しかし、いつまたヘリコプターの音が響くかと、村人たちは今でも恐怖の中で生活している。

スリガオデルスルで行われたこの軍事行動は、地方政府には事前に知らされていなかったという。軍事行動の目的は新人民軍の掃討であると事後に言われているが、この地域で新人民軍と地方政府の衝突は近年は起きておらず、時期の説明がつかない。一方、2004年にアロヨ大統領がこの地域を木材業の地域と宣言しており、また2005年1月に最高裁判決が覆って1995年鉱業法が合法化されて鉱山開発が外国企業に開かれたため、現地では、住民の強制退去と開発の地ならしが目的であったと考えられている。

比経済は対外債務を抱えて危機的で、政府は外国からの外貨呼び込みに躍起になっている。そこで鍵の1つとされているのが1995年鉱業法である。潜在力の高い鉱業を経済成長の原動力にしたいのである。1995年鉱業法は「持続可能な鉱業開発」を掲げ、地域住民保護と開発の促進の両立を建前としている。地方分権の原則や先住民族の権利尊重の原則も含み、それは憲法に反すると鉱業界の抗議を受けた程だが、比政府はそれに対応して先住民族の土地内における鉱業権の権利を認める補則ガイドラインを1998年に作り、既に許可された鉱業権は権利として承認・尊重されることを定めた。また、先住民族の合意書取得の要件を満たすために、反対派の融和や住民の合意獲得のために違法行為や暴力が使われる結果となっている。スリガオデルスルのハンアヤン村では町の議員が買収工作の実態を証言してくれた。開発促進のための税的インセンティブ強化と外資規制緩和は功を奏し、日本を含む多国籍企業による多くの開発申請を呼んでいる。政府は鉱山問題に関わる実態を知りながらそれを容認し、住民の反発を抑えつけるために、鉱山開発の対象地に多くの国軍部隊を駐留させている。その中で政治的殺害や強制失踪が続いているのである。

2005年5月12日、フィリピン合同教会の東北レイテ教区の監督、エジソン・ラプス牧師が殺害された。ラプス牧師は、1995年鉱業法に関する地域会議の準備を進めていた最中であった。

WE21ジャパンは、支援をしてきたベンゲット州が、その2/3の地域を鉱山開発申請対象とされ、環境と住民の生活が脅かされるようになったため、鉱山問題に関する提言活動の支援を行っている(『フィリピン・ベンゲット州 鉱山問題調査報告書』(2007年2月)が最近出された)。ベンゲット州を含むコルディリェラ地方では、2001年から現在までに、前号で言及したホセ・ドートン氏を含めて4人の活動家が殺害され、1名が襲撃を受けて命をとりとめている。

なお、フィリピンのほぼ全域にわたる鉱物資源の調査は、日本のODAによって行われたことも覚えておきたい(1975-77, 1984-89)。

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