政治的殺害(2) 農地改革と政治的殺害

2. April, 2007 • 0 Comments

カラパタンによる分野別の被害者数を見ると、農地改革関係が突出して多く、408人が政治的殺害に遭っている(2001年1月~2006年12月)。

2004年11月16日、コラソン・アキノ元大統領の一族コファンコ家がルソン島中部のタルラックに所有するルイシータ大農園(ハシエンダ)で、ゲートを塞いでストライキを行っていた6000人の労働者とその家族に向かって、労働雇用省長官パトリシア・トーマスの命令で派遣された国家警察と国軍の混成隊1000人が無差別発砲をしながら襲撃し、催涙ガスによって窒息死した2歳と5歳の幼児を含む14人が殺害され(内7人は後日死亡)、181人が重軽傷を負う虐殺事件が発生した。

国家捜査局は、証言と弾丸の線条痕テストに基づいて国家警察のメンバー9人の訴追を勧告したが、国軍兵士は労働雇用省職員の目撃証言があったにもかかわらず罪を問われず、1年後には国家警察の内部調査の結果として9人の告訴も行われないことが決められた。

虐殺から3週間後の12月8日、上院と下院で証言した小作農組織の議長マルセリーノ・ベルトランが軍服の男に自宅前で射殺され、4ヶ月後の2005年3月13日には、ルイシータ大農園の労働者を支援していたフィリピン独立教会のウィリアム・タデナ司祭が殺害された。同じく支援者であったタルラック市議のアベラルド・ラデラ氏の暗殺に続き、虐殺事件後10人目の犠牲者であった。10月25日にはストライキで指導的役割を果たしてきたリック・ラモス氏が射殺された。地元警察は2人の国軍兵士を容疑者としたが、2人が逮捕されることはなかった。その後も関係者の殺害は続き、虐殺事件後に殺害の脅迫を受けるようになっていたフィリピン独立教会の元首座主教であったアルベルト・ラメント主教までもが、2006年10月3日に殺害された。

ルイシータ大農園はフィリピン随一の規模で(6000ha以上)、その労働者はスペインの植民地時代から代々土地を耕してきた人々である。客家のコファンコ家が1957年にスペインの会社から購入した。代金は政府の保障と融資で支払われ、10年後には農園に住む小作農たちに土地を分配することが条件とされた。しかし、コファンコ家は約束を守らず、1985年には法廷から約束の実行を命令されている。ところが「民衆革命」によって大統領となり、農地改革の遂行を期待されていたアキノ大統領は、土地分配の代わりに農園を企業化して株式を配る方式(SDO)を選択肢として認め、コファンコ家による実質的な所有継続を可能にし、フィリピン全体の農地改革の流れを著しく滞らせてしまったのである(コファンコは出身地のタルラックだけでなく、パラワン諸島、ネグロス、ミンダナオなどに、他にも広大な土地を所有している)。その後、「株主」への配当金支払いは不当に低くなるように計算された少額が払われただけであり、しかも農園の土地は「株主」の小作農たちの意見を聞くこともなくショッピングセンターやゴルフ場、そして工業団地にされ、既に半分近くが転用されてしまっている。ちなみに工業団地には日本企業のサンヨーが入り、後にアキノ元大統領が会長になっている。工業団地への転用はさらに進められる計画であり、政府もスービック、クラーク、タルラックを結ぶ高速道路建設を計画して、外国の企業と資本の呼び入れによる経済振興策に利用しようとしている。

この、いわばフィリピンの土地改革政策と経済振興策を象徴する位置にあるルイシータ大農園で、農地改革法の穴(SDO)を取り消し、土地を分配するよう求める激しい闘争が起こったために、ルイシータの農園主や他の大地主のみならず、政府がこのストライキに過敏に反応したのである。砂糖精製工場の労働組合にとっては1日当たり100ペソ(約220円)の賃上げ、小作農組織にとっては議長と副議長を含む327人の解雇取り消しが、主な要求であったのだが。トーマス労働雇用省長官は、「この抗争は国家の利益を明らかに害している」と言って国軍と国家警察の投入を正当化した。国軍および国家警察は、このルイシータ大農園の「大虐殺」はNPAの犯行であり、農園のストライキを全国的な反乱蜂起に発展させようとするフィリピン共産党の謀略事件であると「論証」し、その後の反乱鎮圧作戦でプロパガンダに用いている。(この「論証」はフィリピン国軍北ルソン指令部が発行した『三位一体の戦争』第3巻に書かれている。この本は、2005年7月に世界教会協議会の連帯訪問団の一員として調査に入った鈴木伶子NCC議長(当時)が国軍からプレゼントされたものである。)

なお、その後、農地改革省(DAR)は、2005年9月末にルイシータ大農園の株分配オプション(SDO)の無効化と農地改革法による土地再分配の対象とすることを勧告し、大統領直属の農地改革評議会(PARC)の認定委員会が、2005年12月20日、その勧告の採択を決議するという展開となった(Res.2005-32-01)。ルイシータ大農園は国に接収され、数十年間土地の権利書を所有していた農園労働者たちに分配されることになったのである!また、2005年12月8日には、1年以上も続いたストライキの末に、農園主側は砂糖精製工場と農園労働者の主な要求をのんだ合意書に調印した。しかし、コファンコ家の反攻も急で、2006年6月14日、最高裁から前記決議の実行中止命令を引き出し、今に至っている。

一連の経緯を見ると、ストライキの波及と激化を防ぐ宥和策、および大統領選挙不正疑惑の追及などアロヨ大統領批判を続けるコファンコ一族のアキノ元大統領への牽制策として、政治的駆け引きの一過程として、実現への意思はなく「SDOの無効化と土地再分配」勧告が採択されたのではないかと思われてならない。

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