政治的殺害(1) 問題の概要

29. March, 2007 • 0 Comments

「災いだ、自分の家に災いを招くまで不当な利益をむさぼり、災いの手から逃れるために高い所に巣を構える者よ。お前は、自分の家に対して恥ずべきことを謀り、多くの民の滅びを招き、自分をも傷つけた。まことに石は石垣から叫び、梁は建物からそれに答えている。」(ハバクク書2章)

昨年度、イラクに次いで最も多くの報道関係者が殺害された国がどこだったかご存知だろうか。フィリピンであった。2001年に始まるアロヨ政権下で既に47人が殺害されている。

カラパタン(フィリピン人権連合)がアロヨ政権下における政治的殺害として記録した件数は2007年2月15日迄に834人(その内「左派活動家」は358人)、他に未遂で終わったケースが521人、連行されたまま行方不明の人が209人にのぼる。年毎に超法規的処刑の被害者数を見ると、2001年101人、2002年122人、2003年125人、2004年75人、2005年189人、2006年207人。2005年から急増している。

被害者数は記録する団体によって異なり、それ自体がフィリピン政府によって論争の種にされている。例えば、政治的殺害に関する調査のために設置されたメロ委員会が報告に記した人数は、フィリピン国家警察によると136人、アムネスディ・インターナショナルによると244人、カラパタンによると724人となっている。この違いの主な原因は、カラパタンが「左派活動家」でなかった人も含めていることによる。殺害が政治的な動機によるものかどうかの判定は難しいため、政治団体や住民運動組織などへの所属が基準として使われれば、被害者数は限られた数になるのである。

2006年10月11日に5人の子どもたちを残して自ら命を絶ったヌエヴァ・エシハのガヤルド夫妻は、その数日前から国軍兵士に拷問されながら新人民軍(NPA)との関わりについて尋問を受け、「隠しているM-16ライフルと4万ペソを明日差し出さなかったら殺す」と言われて前日に家に戻されていた。ガヤルド夫妻は地元のメソジスト教会では信徒としてリーダー的存在であったとはいえ、NPAとは関係なく、パーティーリスト政党や人権団体のメンバーですらなかった人たちであった。2006年5月21日に同じくヌエヴァ・エシハで国軍による拷問の末に射殺されたフィリピン合同教会のアンディ・パウィカン牧師の場合も同様だった。なお、パウィカン牧師は日曜日の礼拝が終わった直後に連行されて拷問・尋問を受け、そのまま殺害されたのだが、国軍は、その日の早朝にあったという国軍とNPAの戦闘に巻き込まれて死んだと主張している。ガヤルド夫妻やパウィカン牧師のようなケースも数えれば、カラパタンが記録するような被害者数になる。

いずれにしても政治的殺害は「被害者数」で深刻さを測られるべき問題ではない。国連人権理事会のアルストン特別報告者が言うように「申し立てられているような種類の殺害が少数起こってさえ、その影響は多岐にわたって波及する。膨大な数の市民社会のアクターに脅威を与え、権力者に強いコネのある人を例外として全ての人が殺害の対象になりうるというメッセージとなり、この国が直面している諸課題の解決には必須の政治的議論の土台を崩してしまう。」

犯人はほとんど逮捕も起訴もされていない。仮に実行犯が逮捕され、犯行が立証されるようなことがあったとしても、背後関係や動機までが法廷で明らかにされることは期待できない状況がある。警察は「現場への出入りを制限するなどの捜査に必要な措置を取らなかった」「通報を受けても動かなかった」「記録をとらなかった」「幾つもの検問所を通らなければ犯人の逃走は不可能だったのに、携帯電話の電池が切れていたので連絡ができずに逮捕できなかったと言い訳をしている」など、初動捜査から身が入っていなかったことを非難されているケースが多い。殺害はしばしば家族や公衆の面前で行われているが、警察への信頼が失われているために、目撃者が身の危険を考えて名乗りでなかったり、協力を拒んでいるケースがほとんどである。そのため、個々のケースについて政治的動機や国軍、国家警察の組織的関与の有無を法廷で立証することは難しい。

しかし、件数の多さはフィリピン政府も認めざるを得ない規模となっており、多くのケースで共通の特徴が見られることは周知の事実となっている。

被害者は、バヤンムナなどのパーティーリスト政党、住民組織、労働組合、農民組織等の地域代表や、大学教授、弁護士、牧師、ジャーナリストなどの住民の代弁者であったような知識人が多い(アロヨ政権以前の超法規的処刑の犠牲者は主に一般の農民や労働者だった)。国軍の「暗殺リスト」に名前が載っていると聞かされ、「NPAの同調者/支持者/メンバー」と決めつけられて国軍にラジオやビラで誹謗されていた人が多い。そして「活動をやめないと殺すぞ」「次はお前だ」などと脅迫を受け、事件前に家や職場の周辺を不審者や兵士がうろつくなどの前兆があったケースが多い。襲撃方法も、黒ずくめの服でフルフェイスのヘルメットをかぶった二人組がバイクで乗りつけて射殺するやり方がとられたケースが多い。

“政治的な動機による超法規的処刑”が大規模に組織的に行われていることが疑われなければならない事態となっているのである。

2006年5月16日、円借款によるルソン島アグノ川灌漑事業に反対する住民運動のリーダーであったホセ・ドートン氏がバイクに乗った二人組の男に射殺される事件が起きた。この事件を受けて、現地住民と関わって提言活動を行ってきたFoE Japanを中心とする日本の市民団体はフィリピンで続く政治的殺害への注意喚起と融資決定の中止・見直しを求めて運動を行っているが、同月31日の「政府開発援助等に関する特別委員会」でこの事件を取り上げて質問した近藤正道議員に対して、金田勝年外務副大臣は「容疑者及び事件の背景については分かっていないということで報道がなされております。フィリピン当局は現在捜査中であるというふうに承知しておりますが、本事件と我が国が円借款によります支援の意図表明を行いましたアグノ川統合かんがい事業を直接関連付ける事実は現在のところないと承知しております」と答弁した。さらに、状況的に殺害の意図は明らかではないかとせまった近藤議員に対して、「いずれにしましても現地でのフィリピン当局による捜査というのが行われているわけであります。こうした動向を見守りながら、…」と以後の対応が不明瞭な答弁を繰り返した。2006年11月7日にも参議院外交防衛委員会で福島瑞穂議員が同様な質問をしたが、麻生外相は「(政治的殺害の横行についてはフィリピン政府が)早急に問題の解決に取り組んでいると理解」と答えたのみであった。

市民団体と外務省の間でも同様な問答が繰り返されてきた。外務省は、ホセ・ドートン氏のケースを、フィリピン政府に倣って「原因不明の殺害事件」として扱い、人権問題として扱っていない。“政治的な動機による超法規的処刑”がフィリピンで推奨、容認、あるいは黙認されている可能性、ホセ・ドートン氏がその犠牲者である可能性を考慮して対応しようとする姿勢が示されていない。人権侵害への対応は、裁判の結果を待ってする必要があるものではない。「直接関連付ける事実」の有無に関わらず、ドートン氏の殺害は、既に現実に、アグノ川灌漑事業をめぐる自由な論議や運動を困難にしているのである。

日本政府が慎重になるのはもっともだとしても、人権外交の原則として「人権は普遍的価値であり、また、各国の人権状況は国際社会の正当な関心事項であって、かかる関心は内政干渉と捉えるべきではない」と明言し、またODA大綱で「援助実施の原則」として、軍事支出に十分注意を払うこと、基本的人権及び自由の保障状況に十分注意を払うことを挙げているのである。二言目には「内政干渉になる」と主張する外務省官僚の態度には政府の方針との一貫性がない。

フィリピンでは、マルコス後も引き続き、国軍や国家警察の関与が疑われる人権侵害、政治的な動機による超法規的処刑が続いてきたことは、例えば国連人権委員会によるフィリピン政府報告への見解などによって指摘されてきたことである。フィリピンの国家人権委員会や、米国国務省の国別年度報告などでも、繰り返し指摘されてきたことである。犠牲者を多く出している諸団体は、政治的殺害の激増は、ラモス政権時に始まった和解政策が放棄され、アロヨ大統領の「全面戦争」宣言に基づく反乱鎮圧作戦「オプラン・バンタイ・ラヤ(自由監視作戦)」のためであると主張している。フィリピンの歴代政権は、米国の低強度紛争戦略に倣い、米国の支援を受けて反乱鎮圧作戦を取ってきた(マルコス政権の“オプラン・カタタガン”(1982)、アキノ政権の“オプラン・ランバット・ビタグ”(1987)とラモス政権によるその継続、イスラム勢力を主対象としたエストラダ政権の“オプラン・マカバヤン”(1998)と“オプラン・バランガイ”(2000))。

2002年1月に始まったアロヨ政権のオプラン・バンタイ・ラヤで特徴的である点は、対象をイスラム勢力から共産主義勢力に戻し、武力闘争を行っているNPAそのものではなく、共産党と同様な政治目標を議会政治や市民運動によって追及していると見られる合法組織、すなわちパーティーリスト政党、人権団体、労働組合、農民組織、学生団体、そして教会までをも「国家の敵」として具体的に列挙して、プロパガンダによって悪魔化し、「先制的対応」によって「無力化」することを目的としていることである。ベトナムで米国が使ったフェニックス作戦に類似し、また米国の「対テロ戦争」に乗じたものであることが見て取れよう。オプラン・バンタイ・ラヤの作戦内容は、国軍が高校や村々をまわって『あなたの敵を知る』と題したパワーポイント・プレゼンテーションを見せてまわったため、公開されたも同然の状態となっている。

☆ オプラン・バンタイ・ラヤについては、NCCフィリピン委員会の渡辺英俊牧師が訳された「エキュメニカル正義と平和運動(EMJP)」のブックレット『“オプラン・バンタイ・ラヤ”とは何か』をご覧下さい。

こうした事実があるにも関わらず、これまでの国会での答弁や市民団体とのやりとりを見る限り、日本政府は、アロヨ政権の反乱鎮圧政策及びその影響も含めた人権状況全般の批判的評価を行っておらず、問題が生じてから事後的に対応を考える政策を取っているとしか思われない。それがODA大綱の「援助実施の原則」の項で言うところの「総合的判断」の実の姿である。そのようなことで、人権外交やODA大綱の「原則」が実際の運用において原則とされていると言えるだろうか?

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