Archive for the ‘- 礼拝’ Category

パレスチナ・イスラエルのための世界平和週間(2015/9/20-26) 式文

By Michinori ManoNo Comments 12 Sep

※ 印刷用PDF http://anglican.jp/nagasaka/programs/WWPPI2015_liturgy.pdf

◆招きの言葉

司式者:わたしたちはここに、神の民としていのちを祝うために集まっています。日々の生活において神が共にいてくださることを感謝するために集まっています。神の民のために祈りを献げるために集まっています。人々を引き離し、交わりを壊し、生活、共同体を引き裂くあらゆる壁に、心と思いを向けましょう。石でできている壁もあれば、反移民法、偏見、経済的不正義、恐れによってできている壁もあります。本日は、ことに、パレスチナの人々を家族、友人、耕地、同胞から引き離している恥ずべき壁について省みましょう。心と思いを開き、「平和をつくる者になりなさい」「和解を呼びかけ、助ける者となりなさい」という神の呼びかけを聞きましょう。すべての不公正、不正義の克服を約束しておられる正義の神への希望と信仰を表しましょう。不公正、不正義なるイスラエルの分離壁が壊されることへの希望を、そのための献身を、言い表しましょう。 (more…)

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諸聖徒日と諸魂日

By Michinori ManoNo Comments 25 Oct

※ 2014年10月19日の週報のコラム: 諸聖徒日と諸魂日(1)

教会暦の歩みは「終末」へと向かっています。この時に、私たち以前にキリストの道を歩んだ人々を記念する「諸聖徒日」を祝うことは意味深いことです。 (more…)

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パレスチナ・イスラエルのための国際平和週間2014 礼拝式文

By Michinori ManoNo Comments 19 Sep

「パレスチナ・イスラエルのための世界平和週間(WWPPI)」は、世界教会協議会の呼びかけで、9月21~27日に守られます。2014年度はパレスチナの政治的囚人に焦点を当てています。

- 礼拝式文(英語版): https://pief.oikoumene.org/・・・/invitation・・・/Liturgy2014.pdf
- 資料(英語版): https://pief.oikoumene.org/・・・/invitatio・・・/finalE_Book1.pdf

≪≪≪ パレスチナ・イスラエルのための国際平和週間2014 (9/21-27) 礼拝式文 ≫≫≫

◆ 前奏

◆ 祈りへの呼びかけ

司式者: 三大陸の交差点にして、次々に花開く文明、文化に養われた地、宗教、帝国、闘い、奇跡の揺籃である、中東のこの小さな地から、主イエス・キリストに従う私たちは、深く地に根を下ろした信仰から溢れ出す勇気によって力を与えられ、あなたたちの祈りを私たちの祈りと合わせるよう呼びかけます。憐れみ深い創造主に、そのすべての子らの苦しみを終わらせてくださるように祈りましょう。ことに、預言者たちと私たちの主、救い主によって約束され、普遍的な人権の法律と宣言によって保障されているはずの解放を求める、捕虜、囚人、受刑者、亡命者のために祈りましょう。彼らはあなたたちが声をあげ、叫ぶことを期待しています。「あなたは彼らを尊厳をもって生きるように創造されました。み民を自由にしてください」と。唯一なる永遠の神、三位一体なる私たちの神、父と子と聖霊の名によって礼拝を始めましょう。 (more…)

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基本的な所作

By Michinori Mano2 Comments 30 Jul

◆ 2014/8/10 週報のコラム

同じ聖公会でも、以前は各々の歴史に関わった伝道協会や聖職によって、大切にされる伝統が異なっていました。典礼改革によって古代からの礼拝の在り方についての理解が深められたこと、また海外の伝道協会から自立したことで、各教会の伝統も相対化され、現在は違いが意識される機会はあまりなくなっています。伝統の違いによる対立的な意識が薄れたのはよいことですが、伝統の中で育てられることがなくなったという面もあるかもしれません。 (more…)

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礼拝中の姿勢・動作の歴史

By Michinori ManoNo Comments 29 Jul

◆ 2014/8/3 週報のコラム

初代教会では、会衆は立ったままで主日礼拝を捧げました。神の民として天の父の前にいることを強く確信していることを象徴する姿勢が取られたのです。祈る時は、顔を上に向け、目は開けたまま、手のひらを上に向け、手を上に差し伸べる形、あるいは自分の体の前で手を開く形が取られました。 (more…)

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福音朗読について

By Michinori ManoNo Comments 19 Jul

◆ 2014/7/20 週報のコラム

さあ、旧約聖書、詩編、使徒書によって<神のことばの食卓>が整えられました。いまや、ご自身のことばのうちに現存しておられる主イエス・キリストを迎える時です。わたしたちは主をどのように迎えるでしょうか。 (more…)

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聖餐式における詩編交唱

By Michinori ManoNo Comments 15 Jul

◆ 2014/7/13 週報のコラム

旧約聖書の朗読と使徒書の朗読の間に詩編の交唱があります。皆さんは、詩編の交唱をどのように体験されているでしょうか。 (more…)

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礼拝における沈黙・黙想・黙祷

By Michinori ManoNo Comments 27 Jun

◆ 2014/6/22 週報のコラム 礼拝中の沈黙について

† 聖餐式の式文中、3箇所で<沈黙>する間を持つことが勧められているのは、ご存知でしょうか。これは現行祈祷書から初めて明示されるようになった指示です。 (more…)

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聖書日課の朗読について

By Michinori ManoNo Comments 27 Jun

◆ 2014/6/8 週報のコラム

典礼刷新の基本的な線のひとつは、共同体として捧げるものとしての礼拝の回復ということでした。そのために信徒の役割は大きく変わり、聖書日課朗読、代祷祈願、供え物の奉納を信徒が担う形が回復されました。しかし、信徒が担っても、経験豊かな特定の人ばかりで分担するならば、共同の奉仕になりません。すべてのキリスト者が祭司の民であり、預言者なのですから、みんなで聖なる務めを分かち合いたいのです。 (more…)

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聖餐式聖書日課について

By Michinori ManoNo Comments 22 May

※ 参考文献:『主日の御言葉 – 教会暦・聖餐式聖書日課・特祷』(森紀旦, 聖公会出版, 2000)

◆2014/5/25 週報のコラム

伝統的なキリスト教会では、各主日に朗読される聖書箇所を定めた日課表が用いられています。

歴に基づいて決められた箇所を礼拝で朗読する伝統は、初期ユダヤ教に遡ります。 (more…)

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教会の鐘について

By Michinori ManoNo Comments 15 May

◆ 教会の鐘の歴史

教会といえば鐘がイメージされるほどに教会の鐘はポピュラーですが、その歴史は想像されるほど明らかではありません。桑山隆執事は『教会の鐘物語』(2010)で次のように書いています。 (more…)

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聖公会における葬送の式

By Michinori ManoNo Comments 12 Apr

20世紀後半、ローマ・カトリックでは、葬送式は「キリスト信者の死の過越の性格をより明らかに表現」するように刷新され、古代教会の葬儀観が回復されました。

この典礼改革の影響が広まる中で、わたしたちがキリストの死と復活にあずかっていることを最もよく表明する典礼として、また死の現実の中にあっても神に結ばれた民が生者も死者もひとつであることを表明する典礼として、聖餐式が葬送式の基本要素として再認識されるようになりました。 (more…)

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古代の教会における葬儀

By Michinori ManoNo Comments 12 Apr

※ 2014年度 長坂聖マリヤ教会 大斎節講話資料

初代教会は多くの殉教者を出しましたが、死は終わりではなく永遠の命への誕生であるという信仰から、殉教者の記念日には墓石を囲んでパンを割く式が行われ、主の内に兄弟姉妹として結ばれた絆は決して断ち切られないという信仰が宣言されました(※棺の形の聖卓はこの名残り)。この殉教者の遺体の埋葬と記念日の過ごし方が後の教会葬儀に影響を与えたと考えられます。 (more…)

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葬送式とは

By Michinori Mano2 Comments 29 Mar

※ 2014年度 長坂聖マリヤ教会 大斎節講話資料

◆ 葬送式は公祷です

米国の教会が最も異教的になるのは葬りにおいてであるという警告を発した米国の神学者がいたそうです。米国での話ですから、土着の宗教、習俗の影響を受けがちだ、ということではなくて、逝去者本人あるいは遺族の願いに応じようとして、葬送式がキリスト教の礼拝として逸脱しがちになっているという指摘だったのだろうと思います。

日本でも、米国と同様、結婚式であれ葬儀であれ、伝統に囚われずに自分の考えによって行いたいという要求が強くなっています。他方では、地域社会の伝統によって行うべきであるという要求も依然として強く、両者からの要求に妥協しがちな現状があるのではないかと思います。

このような状況下、葬送式を正しく執り行うことは、他の礼拝の場合よりも困難なことです。

そこで、まず押さえるべき要点は、葬送式は公祷である、ということです。公祷とは、キリストのみ名により、神の民として共同で捧げる礼拝で、定められた祈祷書によって行うものです。 (more…)

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大斎節中の礼拝

By Michinori ManoNo Comments 23 Mar

※ 2014年度 長坂聖マリヤ教会 大斎節講話資料

◆ 改められた教会暦上の強調点

1990年祈祷書が作られる際、併せて「別冊諸式」として『大斎節中の礼拝』が作られました。そこには、大斎始日(灰の水曜日)、復活前主日、聖木曜日、聖金曜日(受苦日)、聖土曜日(復活徹夜祭)の礼拝式文が含まれています。(※ 末尾に各々のポイントを書いてあります)

これは、教会暦の頂点として、キリストの受難と復活を記念する「聖なる三日間」(木~土)の典礼を回復しようとする、典礼改革のひとつの要として整えられたものです。 (more…)

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断食について

By Michinori ManoNo Comments 10 Mar

※ 2014年度 長坂聖マリヤ教会 大斎節講話資料

◆ 聖公会の暦を見ると、「斎日」「断食日」と書かれている日があります。聖公会では、信者の「義務」とされているわけではありませんが、信仰生活に有益な伝統として、節制と断食が勧められています。その具体的な守り方については、カトリック教会に準じた内容で勧められていることが多いと思われます。

・「斎日」(節制する日)は、毎週金曜日、および紫の季節(大斎節、降臨節)の週日
・「断食日」は、大斎始日(灰の水曜日)、および受苦日(聖金曜日) (more…)

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礼拝拾遺(17) -洗礼のイメージ(3)

By Michinori ManoNo Comments 12 Oct

新約時代の洗礼式の実際について知ることができることは多くはありませんが、そのひとつに、洗礼式で使われていたと考えられる賛歌があります。

「眠りについている者、起きよ。死者の中から立ち上がれ。そうすれば、キリストはあなたを照らされる。」 (more…)

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礼拝拾遺(16) -洗礼のイメージ(2)

By Michinori ManoNo Comments 5 Oct

洗礼の理解を言い表すのに、西欧では四世紀以後は<洗礼とはキリストの死と復活にあずかること>とするパウロの神学に立つ<過ぎ越し>のイメージが、排他的に強調されてきました。

しかしそれ以前は、意外にも、例えば二世紀の神学者ユスティノスは、洗礼を語るのにパウロが用いたようなイメージは一切使っておらず、新生、洗い、照明、といった言葉を使いました。四世紀のシリアの教父たちも、キリスト者の洗礼を新しい生への誕生として描き、洗礼槽はヨルダン川であり、子宮であると語りました。東方教会は、その伝統を今も継承しています。 (more…)

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礼拝拾遺(15) -洗礼のイメージ(1)

By Michinori ManoNo Comments 29 Sep

洗礼式の中に、水の聖別のために聖霊を求める祈りがあります(279頁)。これは、洗礼の場所が川や湖から室内の浴槽へと変化したことの一つの結果として生まれてきたものだろうと考えられています。自然に流れる川や湖の水は神の霊が吹き込まれた“生きた”ものと見られ、それに対して貯められた水には欠けがあると考えられたのでした。(※ ブラッドショー)

この起源とも関わりがあってのことでしょう。この祈りでは水との関わりにおける<洗礼>のイメージが言い表されます。先々週書きましたように、前世紀後半、<洗礼>の本来的な意味とそれを表すイメージの回復が行われるようになって、日本聖公会でも<洗礼>を「罪を洗うしるし」(1938年祈祷書、1959年祈祷書)から、「万物を清めて新しい命を与えるしるし」(1990年祈祷書)へと表現が改められ、同時に、1959年祈祷書まで式の冒頭の特祷の中にあった、洗礼とは救いの箱船に入れられること、という表現が削除されました。それは、洗礼とは人生を通して信仰において歩むもの、弟子としての成長において召命を生きる中で私たちを形作り続けるもの、という理解にそぐわないのです。

英国教会の新しい祈祷書(コモン・ワーシップ, 2000年)の水の聖別の祈りには、さらに明確な言い方を見ることができます。私訳でご紹介します。 (more…)

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礼拝拾遺(14) – 信仰告白の位置

By Michinori ManoNo Comments 19 Sep

奉献についての連載で、会衆がパンと葡萄酒を捧げる<奉納>が、それ自体の意義が忘れられ、奉献の準備としか見られず、省略されることさえ多いことについて、キリストへの服従という観点から再考したいものだと書きました。古代教会における洗礼式の<信仰告白(洗礼の誓約)>の変化に関わっても似たようなことがあります。 (more…)

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