Archive for the ‘キリスト教’ Category

L. レクチオ – 聖なる読書の技法

By Michinori ManoNo Comments 4 Dec

※ ジョアン・チッティスターの黙想書 “Illuminated Life – Monastic Wisdom for Seekers of Light”(Orbis Books, 2000)の翻訳。長坂聖マリヤ教会週報2015/11/29, 12/6掲載。

ある日、何人かの弟子たちが師父アントニオスに会いに来た。その中には師父ヨセフもいた。老師は彼らを試したいと思い、聖書の一節を示して、若い者から順にその意味するところを尋ねた。各々自分に分かる限りの意見を述べた。しかし、老師はどの弟子にも、「お前は分かっていない」と言った。最後に師父ヨセフに尋ねた。「お前はこの聖句をどう説明するのだ。」師父ヨセフは答えた。「私は分かりません。」師父アントニオスは言った。「げに師父ヨセフは道を見つけた。『私は分かりません』と答えたからだ。」

観想は、人目につかず行う信心ではありません。それは生活のあり方です。観想はものの考え方を変えるものです。観想は生活のあり方を形作るものです。観想は、わたしたちがどう話すか、どこへ行くのか、何をするのか、といったことを問題にします。「観想する」とか、「観想しない」とかいうものではないのです。わたしたちは観想生活を生きるのです。 (more…)

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K. 優しさ(Kindness)

By Michinori ManoNo Comments 19 Nov

※ ジョアン・チッティスターの黙想書 “Illuminated Life – Monastic Wisdom for Seekers of Light”(Orbis Books, 2000)の翻訳。長坂聖マリヤ教会週報2015/10/11,18掲載。

ある時、スケーティスでひとりの修道士が罪を犯した。長老たちが集まり、師父モーセを呼びにやった。しかし、師父モーセは行くのを嫌がった。「来てください。みんながあなたを待っています」という司祭の言葉が伝えられ、ついに師父は立ち上がった。師父は穴の開いた古びた籠を手に取り、砂で満たし、それを持って出かけた。師父を迎えに出た人々は言った。「これは何ですか。」老師父は言った。「わしの罪はわしの後ろに累々と連なっているが、わしにはそれが見えない。そして今日、わしは他人の罪を裁きに来たというわけじゃ。」人々はこれを聞き、何も言わずに罪を犯した修道士を赦したのだった。

砂漠の修道士たちははっきり言います。自分を正しい者であると考えて行う業は、正義の名において為される無慈悲な業であると。自分を義人と考える宗教者に出くわすことはありえます。師父モーセのように、わたしたちも、自分を義人と考える聖職者と出会う可能性はあります。自分を義人と考える友人や隣人、あるいは家族と関わりを持たなければならなくなることもあるでしょう。しかし、観想者の中にはそのような人を見つけることはできません。本物の観想者の中には。 (more…)

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山に逃げなさい

By Michinori ManoNo Comments 15 Nov

聖霊降臨後第25主日(B年 特定28)説教
ダニ12:1-13, 詩16:5-11,ヘブ10:31-39,マコ13:14-23

日本時間で昨日早朝、パリで大規模なテロ事件が起こりました。129人が殺害されました。わたしはiPhoneにBBC newsのアプリを入れているので、事件直後に音が鳴って事件を知りましたが、テレビをつけても報道されておらず、どういうことだろうかと思わされました。その後、報道が入ってきましたが、今度はそれによって作り出された雰囲気に違和感を覚えました。連帯感を訴える雰囲気が作り出されていたからです。

ご存じでしょうか。パリでの事件の前日、レバノンの首都ベイルートでもISによるかつてない規模の連続自爆テロがあって、43人が死亡し、240人以上が負傷を負う事件が起こっていました。パレスチナでは、先月以来、イスラエルによる国家テロとも言うべき弾圧で、すでにパレスチナ人77人が殺害されています。レバノンでも、パレスチナでも、無辜の市民が無差別に暴力の犠牲になっているのです。でも、パリでの事件のようには受け止められていないのです。それをfacebookなどで見ていて、やりきれない悲しい気持ちに襲われました。

政治指導者たちからは、悪を懲らしめなければならない、団結して戦うぞ、といったメッセージばかりが伝わってきました。 (more…)

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J.正義(Justice)

By Michinori ManoNo Comments 24 Oct

※ ジョアン・チッティスターの黙想書 “Illuminated Life – Monastic Wisdom for Seekers of Light”(Orbis Books, 2000)の翻訳。長坂聖マリヤ教会週報2015/10/25, 11/1掲載。

師父ヤコブは言った。「ランプが暗い部屋を光で照らすのと同じように、神への畏れは、それが心を刺し貫くとき、すべての徳と神の掟を教えて、心を光で照らす。」

観想生活には危険があります。観想はしばしば人生の重大なる諸問題から距離を取ることの正当化に利用されます。観想が、世界を腐敗するにまかせる口実になるのです。そのような観想生活の仕方は残念なもので、本物ではありません。観想が、神が世界を見るように世界を見るようになることであるならば、はっきりとそのように見なければなりません。観想が、神の精神に浸されるようになることであるならば、わたしたちは自分の小さな行動計画を超えて考えるようにならなければなりません。観想が、世界の只中で神の心を身にまとうことであるならば、観想者は誰にもまして宇宙の核心における神のご意志の抹消に涙を流すはずです。 (more…)

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I.内的生活(Interiority)

By Michinori ManoNo Comments 13 Oct

※ ジョアン・チッティスターの黙想書 “Illuminated Life – Monastic Wisdom for Seekers of Light”(Orbis Books, 2000)の翻訳。長坂聖マリヤ教会週報2015/10/11,18掲載。

ペルシオンの師父イシドロス(c.450,エジプト)は言った。「喋らずに生きる方が、生きずに喋るよりもよい。正しく生きる人は沈黙によって益をもたらし、喋り過ぎる人は苛立ちを与えるものだ。しかし、言葉と生活が手に手を取り合うならば、それはあらゆる愛智の極みとなる。」

わたしたちが生きているのは、忙しくて騒がしい世界です。3世紀のエジプトの砂漠でもなければ、山の頂にある修道院でもありません。わたしたちの多くは、いつも予定と締め切りに追われ、人混みに囲まれ、社会の多くの要求に気を取られて生きています。

わたしたちの社会は、ますます外向きなものになってきています。わたしたちは生活のあらゆる次元で自分の外に呼び出されています。市民行事を組織してもらい、将来設計をしてもらい、家族のイベントまで計画してもらっています。わたしたちは、人生の大半を、諸制度の社会的必要に合わせること、それを満たすことに費やしています。皮肉にも、それら諸制度は自分らしさを可能にするために考案されたものでありながら、わたしたちを飲み込む結果となっているのです。

わたしたちを創造した神への霊的な応答ですらも、教派的伝統から生まれてそれを保持している宗教団体によって大体が決定されています。しかし、観想者は、内なる神的な命を養うのに儀式と典礼では十分でないと知っています。それらはせいぜい宗教の付属物でしかないのです。霊性とは、わたしたちが従うべきシステムではありません。すべての人の内におられる神を個々人が探求することです。

内的生活、すなわち神なる命を養い育てるための内なる場所を作り出すことは、観想に絶対不可欠です。内的生活とは、神と共にいるために自己の中に入ることです。わたしの内なる生活は、内なる神と共にする暗闇の中での歩みです。神は、自己の彼方、自己の外へと、わたしたちを導き、世界に解き放たれた神的な命の器とされます。 (more…)

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「わたしたち」という意識

By Michinori ManoNo Comments 28 Sep

聖霊降臨後第18主日説教

* マルコによる福音書 9:38-48

「先生、お名前を使って悪霊を追い出している者を見ましたが、わたしたちに従わないので、やめさせようとしました。」

「雷の子」の異名を持つ、ゼベタイの子、ヨハネが言いました。何という皮肉でしょうか。この少し前、弟子たちは、「ものを言わせず、耳を聞こえさせない」汚れた霊を追い出そうとして、追い出せなかった出来事があったばかりです。
自分たちがイエスの弟子であることで権威を与えられているかのように考えて、その権威において汚れた霊に立ち向かったものの、相手にならなかったのでした。ところが、イエスの弟子として数えられていない人、弟子たちにはよそ者として見られた人が、イエスの名において悪霊を追い出していた、というのです。 (more…)

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なんと信仰のない時代なのか

By Michinori ManoNo Comments 21 Sep

聖霊降臨後第17主日(特定20)説教

「あなたたちはこの民が同盟と呼ぶものを何一つ同盟と呼んではならない。彼らが恐れるものを、恐れてはならない。その前におののいてはならない。万軍の主をのみ、聖なる方とせよ。」(イザ8:12-13a)

「神を信じない者は言葉と行いで自らに死を招き、死を仲間と見なして身を滅ぼす。すなわち、死と契約を結んだのだ。死の仲間としてふさわしい者だから。」(知1:16)

これまで、この言葉を、自分に向かって語られた言葉として聞いたことはありませんでした。警告としては読んでいたかもしれません。しかし、宣告として読んだことはありませんでした。

山本太郎さんではありませんが、今は喪に服すべき時でしょう。聖書の伝統で言えば、荒布を身にまとい、頭に灰をかぶって嘆くべき時でしょう。わたしたち日本人は、神を信じず、死と契約を結んだのです。 (more…)

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パレスチナ・イスラエルのための世界平和週間(2015/9/20-26) 式文

By Michinori ManoNo Comments 12 Sep

※ 印刷用PDF http://anglican.jp/nagasaka/programs/WWPPI2015_liturgy.pdf

◆招きの言葉

司式者:わたしたちはここに、神の民としていのちを祝うために集まっています。日々の生活において神が共にいてくださることを感謝するために集まっています。神の民のために祈りを献げるために集まっています。人々を引き離し、交わりを壊し、生活、共同体を引き裂くあらゆる壁に、心と思いを向けましょう。石でできている壁もあれば、反移民法、偏見、経済的不正義、恐れによってできている壁もあります。本日は、ことに、パレスチナの人々を家族、友人、耕地、同胞から引き離している恥ずべき壁について省みましょう。心と思いを開き、「平和をつくる者になりなさい」「和解を呼びかけ、助ける者となりなさい」という神の呼びかけを聞きましょう。すべての不公正、不正義の克服を約束しておられる正義の神への希望と信仰を表しましょう。不公正、不正義なるイスラエルの分離壁が壊されることへの希望を、そのための献身を、言い表しましょう。 (more…)

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H.謙虚さ(Humility)

By Michinori ManoNo Comments 12 Aug

※ ジョアン・チッティスターの黙想書 “Illuminated Life – Monastic Wisdom for Seekers of Light”(Orbis Books, 2000)の翻訳。長坂聖マリヤ教会週報2015/8/9,16掲載。

師父クサンティアスは言った。「犬はわたしよりも優れている。犬も愛を抱くが、私と違って、裁かないからだ。」

師父サルマタスは言った。「罪を犯したことがなく、自分を義人であると考えている人よりも、罪を犯した人の方が好ましい。その人が罪を犯したと自覚し、悔いているならば。」 (more…)

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G.成長(Growth)

By Michinori ManoNo Comments 1 Aug

※ ジョアン・チッティスターの黙想書 “Illuminated Life – Monastic Wisdom for Seekers of Light”(Orbis Books, 2000)の翻訳。長坂聖マリヤ教会週報2015/7/26,8/2掲載。

師父ミオスに、ある兵士が、「神は罪人を赦されるのでしょうか」と尋ねた。老師は、多くの言葉で彼に導きを与えた後、お尋ねになった。「ねえ君。その外套が破れたら、投げ捨てるかい?」兵士は答えた。「とんでもない。繕って、また身にまといます。」老師は言われた。「君はそれほど外套を大切に思うのに、神がご自分の被造物を大切にしないなどと思うのかい?」 (more…)

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F.信仰(Faith)

By Michinori ManoNo Comments 17 Jul

※ ジョアン・チッティスターの黙想書 “Illuminated Life – Monastic Wisdom for Seekers of Light”(Orbis Books, 2000)の翻訳。長坂聖マリヤ教会週報2015/7/12.7/19掲載。

師父ビザリオンの弟子、師父ドゥラスはこのような話をした。「ある日、我々が海辺を歩いていた時のこと、わたしは喉が渇いて、師父ビザリオンに訴えた。『師父、喉がとても渇きました。』すると、老師は祈りをささげてからおっしゃった。『ならば、海から飲みなさい。』飲んでみると、真水だった。そこで、後で喉が渇くことがないように、その水を革袋に注ぎいれた。それを見て、老師はお尋ねになった。『なぜ、そんなことをしているのだ。』私は答えた。『後で喉が渇くことがないようにするためです。』すると老師は言われた。『<神>はここにおられ、またあらゆる場所におられる。』」 (more…)

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E. <照らしを受ける(Enlightenment)>

By Michinori ManoNo Comments 1 Jul

※ ジョアン・チッティスターの黙想書 “Illuminated Life – Monastic Wisdom for Seekers of Light”(Orbis Books, 2000)の翻訳。長坂聖マリヤ教会週報2015/6/28.7/5掲載。

師母シンクレティカは言った。「神に近づく者は、はじめは格闘します。することがたくさんあります。しかし、その後には、言葉では言い表せない喜びがあります。それは火を起こすのに似ています。はじめは煙たくて涙が出るもの。でも、その後は、望んでいたようになるでしょう。そのように、私たちは、涙と努力で、自らの内に神の火を灯すべきなのです。」 (more…)

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主よ、わたしの仕事は赤色で、あなたの仕事は緑色です

By Michinori ManoNo Comments 16 Jun

聖霊降臨後第3主日(特定6)説教
(エゼキエル書31:1-6,10-14, マルコによる福音書4:26-34)

「見なさい。ここにわたしの母、わたしの兄弟がいる。神の御心を行う人こそ、わたしの兄弟、姉妹、また母なのだ。」先週の福音書にあったこのみ言葉は、イエス・キリストにおいて啓示された真理を悟らせて聖なる者とする聖霊が注がれた時、主の家族である<教会>という姿において、人々の目に見える現実になりました。

エルサレムから見れば、ガリラヤという異邦人の地、世界の片隅で人々に神の国の訪れを知らせていたイエスさまの小さなからし種のような働きが、十字架における死によって地に蒔かれ、ご復活において芽を出して、ペンテコステの日、現在のイラン、イラクからエジプト、リビア、そしてローマにまで至る世界各地からエルサレムに来ていた人々を驚かせました。ガリラヤ湖のほとり、カファルナウムの町のシモン・ペトロの家で一緒に食事の席に着いていた主の小さな家族は、その300年後には、中央アジア、南アジアからヨーロッパに広がる大きな家族になっていました。そして、2000年後の今日、地球全体に広がる家族に成長しています。

さて、今日の「教会」の姿を見て想起されるのは、本日の日課にあったエジプトをレバノン杉に喩えたエゼキエルの言葉でしょうか、それとも神の国をカラシナに喩えたイエスさまの言葉でしょうか。 (more…)

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D. <日常性(Dailiness)>

By Michinori ManoNo Comments 13 Jun

※ ジョアン・チッティスターの黙想書 “Illuminated Life – Monastic Wisdom for Seekers of Light”(Orbis Books, 2000)の翻訳。長坂聖マリヤ教会週報2015/6/14,21掲載。

師父ポイメーンが師父ピオルについて語った。師は来る日も来る日も新たな出発をなされた、と。 (more…)

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C. <共同体 (Community)>

By Michinori ManoNo Comments 30 May

※ ジョアン・チッティスターの黙想書 “Illuminated Life – Monastic Wisdom for Seekers of Light”(Orbis Books, 2000)の翻訳。長坂聖マリヤ教会週報2015/5/31,6/7掲載。

< カシアンは次のような教えを語った。大きな修道院の院長であった師父ヨハネが、砂漠の奥深くに40年間住んでいた師父パイシウスを訪ねた。ヨハネはパイシウスをとても愛していたので、遠慮なく話ができた。「むやみに人に邪魔されるようなこともなく、こんなに長くここに隠棲して、どんな善いことをなさったのですか。」パイシウスは答えた。「わしは独りで暮らしてきたから、食を口にするところをただの一度も太陽に見られなかったよ。」それに対してヨハネは言った。「わたしは、他の者たちと暮らしてきましたから、怒っているところをただの一度も太陽に見られませんでしたよ。」 > (more…)

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B. <美 (Beauty)>

By Michinori Mano2 Comments 20 May

※ ジョアン・チッティスターの黙想書 “Illuminated Life – Monastic Wisdom for Seekers of Light”(Orbis Books, 2000)の翻訳。長坂聖マリヤ教会週報2015/5/17,24掲載。

ある夜、盗賊が年老いた修道士の庵にやってきて言った。「ここにあるものを全部もらうぞ。」修道士は言った。「我が子たちよ、何でも持っていくがよい。」盗賊は見つけたものをかき集めて立ち去った。しかし、銀の燭台が入った小さな袋を忘れていった。修道士はそれに気がつくと叫びながら盗賊を追いかけた。「これももっていきなさい。これももっていきなさい。これが一番美しいものなのに、忘れていなさるぞ。」 (more…)

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A. <覚知 (Awareness)>

By Michinori ManoNo Comments 20 May

※ ジョアン・チッティスターの黙想書 “Illuminated Life – Monastic Wisdom for Seekers of Light”(Orbis Books, 2000)の翻訳。長坂聖マリヤ教会週報2015/5/3,10掲載。

ある修道士が師父モーセをそのスケーティスにある庵まで訪ねて行き、教えを請うた。年老いた人は言った。「行って、あなたの房に座りなさい。あなたの房がすべてを教えるでしょう。」
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クリスマスの慣習

By Michinori ManoNo Comments 7 Apr

※ 長坂聖マリヤ教会 週報のコラムとして書いたもの(2014/11/30,12/7,12/14,12/21,12/28, 2015/1/4), 2015/12/8改訂

○ 飼い葉桶(クリッペ/クリブ)の展示

クリッペは、飼い葉桶とそこに眠るキリスト、マリアとヨセフ、天使、羊飼い、東方からの学者、家畜たちのセットです。

この慣習は古代教会にまで遡るようですが、現在のような形になったのは13世紀頃で、イエスの歴史的、人間的な詳細への関心が高まったことが背景にあったようです。 (more…)

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教会委員の心得

By Michinori ManoNo Comments 10 Jan

長坂聖マリヤ教会の週報(1/25, 2/1)のコラムとして書いたものです。

1)神からの召しとして、受けとめること (more…)

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教会委員会の由来

By Michinori ManoNo Comments 10 Jan

長坂聖マリヤ教会の週報(1/11,18)のコラムとして書いたものです。

◆ 英語の「ベストリー」は、文字通りに「祭服室」を意味する他、そこで持たれる「教会委員会」を意味します。 (more…)

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