キリスト教 :: 海辺のノート

Archive for the ‘キリスト教’ Category

南スーダンのために…

By Michinori ManoNo Comments 9 Aug

日曜日、長坂聖マリヤ教会の第31回平和記念講演会で、日本国際ボランティアセンター(JVC)の清水俊弘さんから南スーダンの話をお聞きしました。講演後の質疑で、なぜ日本は難民を受けれいないのか、という問いに対して、清水さんは、地域として難民を受け入れる運動が起こらなければ日本政府は動かないだろう、例えば、この長坂聖マリヤ教会がそういう取り組みをするということがなければ…ということをドイツの例を引きながら話してくださいました。お聞きしていて、自分は難民受け入れを国の問題として考えるばかりで、自分たち自身が迎え入れ、共に生きていくということを現実的な可能性として考えていなかったと気づかされました。

そんな今日、ジャスティン・ウェルビー カンタベリー大主教が南スーダン人難民キャンプの訪問で考えたことを書かれていたので翻訳しました。

家に戻って、スーダンとウガンダでのつらくも素晴らしい数日間を振り返っています。

最後の日は、北ウガンダにある2つの難民キャンプ、ベラメリングとミリエイで過ごしました。そこには20万人の難民がいます。ほとんど全員が南スーダンから逃れてきた人たちです。ウガンダにいる南スーダン人難民の数は100万人に達しました。着の身着のままで国境を越えて文字通り命がけで逃げてきた人々に会いました。 (more…)

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Sabeel Christmas Message 2016

By Michinori ManoNo Comments 10 Dec

サビール・クリスマス・メッセージ 2016

いと高きところには神に栄光が、地には平和があって、人には慈しみが示されますように。

親しき友人たちへ

クリスマスは喜びの時です。日々の生活の悲しみや困難の只中にあって、わたしたちにはクリスマスの心が必要です。クリスマスのよき知らせと明るさが必要です。イエス・キリストの誕生は喜びと希望を与えます。「あなたに生まれます。救いをあたえる者、油注がれし者、主が。」わたしたちが日々の困難を切り抜けていくことができるように、クリスマスはつねにわたしたちを回復させ、新たにしてくれます。

しかし、クリスマスの物語は、また、トラウマと悲劇に満ちたものでもあります。幼子キリストの美しさと無垢さと共に、ヘロデのわがままと残酷さ、権力を持つ人々の冷淡さが語られているのです。

このアドベントにクリスマスの物語を読み、そこから何を学ぶことができるでしょうか。 (more…)

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宴会のたとえ

By Michinori ManoNo Comments 30 Aug

聖霊降臨後第15主日(特定17)ルカ14:1,7-14 説教

「安息日のことだった。イエスは食事のためにファリサイ派のある議員の家にお入りになったが、人々はイエスの様子をうかがっていた。」

天地創造は、闇と混沌に覆われた世界に光と平安をもたらされた愛の業でした。それゆえ、神はエジプトでの奴隷生活から解放されたイスラエルの民に、その解放を天地創造の業に重ね、記念するために、安息日を守りなさいとお命じになったのでした。

ここに信仰理解の根本があります。しかし、そのために、安息日の理解と守り方をめぐって、世の人々はイエスさまと鋭く対立しました。ユダヤ社会の指導者たちは、安息日には仕事をしてはならないという「掟」に忠実であるべきことを教えていましたが、イエスさまは、安息日の「心」に忠実であることを何よりも大切にされたからです。「人々はイエスの様子をうかがっていた」とあるのは、この対立の故でした。 (more…)

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マルタとマリア

By Michinori ManoNo Comments 23 Jul

聖霊降臨後第9主日(特定11)
創18:1-10b, ルカ10:38-42

◆ 昨日は、現在エルサレム教区から来日しているジョージ・コプティ司祭の講演会に行ってきました。ジョージ・コプティ司祭は、4年前に来日した際は、この長坂聖マリヤ教会を訪ねてくださいました。その時はレバノンで牧師をしておられましたが、今はヨルダンの首都アンマン旧市街にある聖パウロ教会で牧師をされています。今回の講演会の主題は、教会で今取り組んでいる難民のための働きについてでした。

ヨルダンは、旧約聖書の時代、エドム人が住んでいた国、その首都のアンマンはアンモン人が住んでいた国です。エドム人の「エドム」は、創世記のアダムとエバの「アダム」と同じ語から派生していて、赤茶けた土の色を意味する言葉です。水が少なくて、赤茶けた土の荒地が多いことに因んでいます。ヨルダンの人口は650万人。東京都の人口のちょうど半分位、面積は北海道とほぼ同じ位です。 (more…)

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善きサマリア人のたとえ

By Michinori ManoNo Comments 14 Jul

(聖霊降臨後第8主日(特定10)申命記30:9-14, ルカ10:25-37)

7月1日金曜日、ヨルダン川西岸地区、ヘブロンの近郊で、「善きサマリア人のたとえ」を地で行く出来事がありました。

ユダヤ人入植者の家族が乗った車が、道路脇から銃撃を受け、運転していた父親が死亡し、車がひっくりかえり、同乗していた母親と子どもたちが車に閉じ込められました。たまたま、そこに、パレスチナ人難民のアル=バイードさんが通りかかりました。車のエンジンはまだ動いていて、ガソリンが流れ出ており、今にも引火して爆発するのではないかという状態でした。車の中からはヘブライ語で「助けて」と子どもが叫んでいました。アル=バイードさんはイスラエルでの仕事で覚えたヘブライ語で子どもに話しかけて落ち着かせながら、ドアをこじ開け、二人の子どもとその母親を引っ張り出しました。一緒にいたアル=バイードさんの妻は元看護士で、二人で救急治療を施しました。 (more…)

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復活の主の愛

By Michinori ManoNo Comments 12 Apr

復活節第3主日(C年)説教(ヨハネによる福音書 21:1-14, 詩編第30篇, ヨハネの黙示録5:6-14)

loaves-fish_pngヨハネによる福音書の復活記事の特徴は、どんなところにあるでしょうか。

◆ ひとつ目の特徴は、復活の主が弟子たちに現れた出来事が主日礼拝に重ねて語られている点にあります。

1回目、2回目の出来事では、共に、週の初めの日、すなわち日曜日に、弟子たちが家で戸に鍵をかけて集まっていると、その真ん中にイエスさまが立ち、「あなたがたに平和があるように」と言われました。

わたしたちは毎主日、「主イエス・キリストよ、おいでください」、「弟子たちの中に立ち、復活のみ姿を現されたように、わたしたちのうちにもお臨みください」と唱えて、そのことを記念しています。知らず知らずの内に自らの内にも外にも扉をしめ、鍵をかけて生きている私たちのただ中にも、復活の主が姿をお見せになり、恐れを喜びに、不信仰を信仰に変えてくださることを願って、礼拝に参入するのです。 (more…)

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死にあずかるという救い

By Michinori ManoNo Comments 15 Mar

大斎節第5主日(C年)説教(甲府聖オーガスチン教会にて)
聖書日課:イザヤ43:16-21, フィリピの信徒への手紙3:8-14, ルカ20:9-19

「わたしの主キリスト・イエスを知ることのあまりのすばらしさに、今では他の一切を損失と見ています。キリストのゆえに、わたしはすべてを失いましたが、それらを塵芥と見做しています。」

パウロにとってイエス・キリストを知ることにそれほどの素晴らしさを感じる前提となっていたことは何でしょうか。

それは自分の罪深さの認識でした。自分の中に罪が住んでいることを知ることでした。自分が望んでいることを行わせず、憎んでいることを行わせる悪の力が自分の中で働いていることを知ることでした。人のため、神のために行動しているのだと思っている時でも、実は自分勝手で自己中心的な行動をしていることがあること。自分は自分のしていることが必ずしも分かっていないこと。そのような罪の拭いがたさを知ることがなければ、「キリストの死の姿にあやかりながら、何とかして死者の中からの復活に達したい」などと思うことはないでしょう。人間の根本的なところに罪への傾きがあること、そこで悪の力が働いていることを知ればこそ、わたしたちは、主イエス・キリストのご復活に他のすべてがかすむほどの素晴らしさと喜びを感じるのです。

問題は、わたしたちが、そのような根本的な罪への傾き、罪による支配を、なかなか認められないことです。 (more…)

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荒れ野に生きる

By Michinori ManoNo Comments 15 Feb

大斎節第1主日(C年)説教

◆ 大斎節に入りました。大斎節を失うものは1年を失う、と言われます。これは経験に基づく言葉、信仰生活の実感から言われる教えであるのと同時に、信仰理解そのものから来る言葉でもあると思います。

大斎節のこころは、灰の水曜日の礼拝で、額に灰の十字架を書かれる時に唱えられる「あなたは塵であるから、塵に帰りなさい。罪を離れて、キリストに忠誠を尽くしなさい」という言葉によく言い表されています。

わたしたちは神によって塵からつくられたものであって、塵に帰るものである。わたしたちはただ、神の息によって命あるものとして生きているのであって、神の息が自分から出ていけば死ぬものである。この自分と神とについての根本認識が土台としてあってこそ、その上に、神の恵みを感謝し、神の憐れみに頼り、神からの救いを信じる、信仰生活が成り立ちます。

大斎節には、この信仰生活の原点である根本認識に立ち帰りたいのです。その認識を与えられる現場、自分が塵であり、塵に帰らなければならない現実に向き合わされる場所が荒れ野です。

◆ 荒れ野は、聖書でどのような場所として書かれているでしょうか。

荒れ野は、旧約聖書では、アダムとエバが追放された場所、「エジプト」と「約束の地」の間にある地、捕囚の民が生きる流謫の地です。 (more…)

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クリスマス・イブのお話

By Michinori ManoNo Comments 28 Dec

とんとん。旅装束の若い夫婦が戸をたたきました。しかし、その家は飲めや歌えやの大騒ぎで、何度戸を叩かれても誰も気がつきませんでした。

どこの家も客を迎えて賑わっていました。ふたりはこの町の親戚とは縁遠くて、頼れる家がありませんでした。妻は身ごもっていて、野宿するわけにもいきませんでした。そこで町中の家々を宿を求めて訪ねまわっていたのでした。

この時代、お金を払って泊まるような宿は、数多くありませんでした。そのような宿があっても、しばしばいかがわしい商売の場所になっていたこともあって、旅人が見知らぬ人の家に宿を求めることは普通のことでした。それに、その昔、信仰の父アブラハムが見知らぬ旅人を迎え入れ、気づかずに天使をもてなしたことが、人々の生活の規範になっていました。見知らぬ旅人をよき知らせをもたらす天使を迎えるようにして歓待する慣習があったのです。

しかし、その日、若い夫婦を迎え入れる家は、なかなか見つかりませんでした。 (more…)

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山に逃げなさい

By Michinori ManoNo Comments 15 Nov

聖霊降臨後第25主日(B年 特定28)説教
ダニ12:1-13, 詩16:5-11,ヘブ10:31-39,マコ13:14-23

日本時間で昨日早朝、パリで大規模なテロ事件が起こりました。129人が殺害されました。わたしはiPhoneにBBC newsのアプリを入れているので、事件直後に音が鳴って事件を知りましたが、テレビをつけても報道されておらず、どういうことだろうかと思わされました。その後、報道が入ってきましたが、今度はそれによって作り出された雰囲気に違和感を覚えました。連帯感を訴える雰囲気が作り出されていたからです。

ご存じでしょうか。パリでの事件の前日、レバノンの首都ベイルートでもISによるかつてない規模の連続自爆テロがあって、43人が死亡し、240人以上が負傷を負う事件が起こっていました。パレスチナでは、先月以来、イスラエルによる国家テロとも言うべき弾圧で、すでにパレスチナ人77人が殺害されています。レバノンでも、パレスチナでも、無辜の市民が無差別に暴力の犠牲になっているのです。でも、パリでの事件のようには受け止められていないのです。それをfacebookなどで見ていて、やりきれない悲しい気持ちに襲われました。

政治指導者たちからは、悪を懲らしめなければならない、団結して戦うぞ、といったメッセージばかりが伝わってきました。 (more…)

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「わたしたち」という意識

By Michinori ManoNo Comments 28 Sep

聖霊降臨後第18主日説教

* マルコによる福音書 9:38-48

「先生、お名前を使って悪霊を追い出している者を見ましたが、わたしたちに従わないので、やめさせようとしました。」

「雷の子」の異名を持つ、ゼベタイの子、ヨハネが言いました。何という皮肉でしょうか。この少し前、弟子たちは、「ものを言わせず、耳を聞こえさせない」汚れた霊を追い出そうとして、追い出せなかった出来事があったばかりです。
自分たちがイエスの弟子であることで権威を与えられているかのように考えて、その権威において汚れた霊に立ち向かったものの、相手にならなかったのでした。ところが、イエスの弟子として数えられていない人、弟子たちにはよそ者として見られた人が、イエスの名において悪霊を追い出していた、というのです。 (more…)

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なんと信仰のない時代なのか

By Michinori ManoNo Comments 21 Sep

聖霊降臨後第17主日(特定20)説教

「あなたたちはこの民が同盟と呼ぶものを何一つ同盟と呼んではならない。彼らが恐れるものを、恐れてはならない。その前におののいてはならない。万軍の主をのみ、聖なる方とせよ。」(イザ8:12-13a)

「神を信じない者は言葉と行いで自らに死を招き、死を仲間と見なして身を滅ぼす。すなわち、死と契約を結んだのだ。死の仲間としてふさわしい者だから。」(知1:16)

これまで、この言葉を、自分に向かって語られた言葉として聞いたことはありませんでした。警告としては読んでいたかもしれません。しかし、宣告として読んだことはありませんでした。

山本太郎さんではありませんが、今は喪に服すべき時でしょう。聖書の伝統で言えば、荒布を身にまとい、頭に灰をかぶって嘆くべき時でしょう。わたしたち日本人は、神を信じず、死と契約を結んだのです。 (more…)

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パレスチナ・イスラエルのための世界平和週間(2015/9/20-26) 式文

By Michinori ManoNo Comments 12 Sep

※ 印刷用PDF http://anglican.jp/nagasaka/programs/WWPPI2015_liturgy.pdf

◆招きの言葉

司式者:わたしたちはここに、神の民としていのちを祝うために集まっています。日々の生活において神が共にいてくださることを感謝するために集まっています。神の民のために祈りを献げるために集まっています。人々を引き離し、交わりを壊し、生活、共同体を引き裂くあらゆる壁に、心と思いを向けましょう。石でできている壁もあれば、反移民法、偏見、経済的不正義、恐れによってできている壁もあります。本日は、ことに、パレスチナの人々を家族、友人、耕地、同胞から引き離している恥ずべき壁について省みましょう。心と思いを開き、「平和をつくる者になりなさい」「和解を呼びかけ、助ける者となりなさい」という神の呼びかけを聞きましょう。すべての不公正、不正義の克服を約束しておられる正義の神への希望と信仰を表しましょう。不公正、不正義なるイスラエルの分離壁が壊されることへの希望を、そのための献身を、言い表しましょう。 (more…)

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主よ、わたしの仕事は赤色で、あなたの仕事は緑色です

By Michinori ManoNo Comments 16 Jun

聖霊降臨後第3主日(特定6)説教
(エゼキエル書31:1-6,10-14, マルコによる福音書4:26-34)

「見なさい。ここにわたしの母、わたしの兄弟がいる。神の御心を行う人こそ、わたしの兄弟、姉妹、また母なのだ。」先週の福音書にあったこのみ言葉は、イエス・キリストにおいて啓示された真理を悟らせて聖なる者とする聖霊が注がれた時、主の家族である<教会>という姿において、人々の目に見える現実になりました。

エルサレムから見れば、ガリラヤという異邦人の地、世界の片隅で人々に神の国の訪れを知らせていたイエスさまの小さなからし種のような働きが、十字架における死によって地に蒔かれ、ご復活において芽を出して、ペンテコステの日、現在のイラン、イラクからエジプト、リビア、そしてローマにまで至る世界各地からエルサレムに来ていた人々を驚かせました。ガリラヤ湖のほとり、カファルナウムの町のシモン・ペトロの家で一緒に食事の席に着いていた主の小さな家族は、その300年後には、中央アジア、南アジアからヨーロッパに広がる大きな家族になっていました。そして、2000年後の今日、地球全体に広がる家族に成長しています。

さて、今日の「教会」の姿を見て想起されるのは、本日の日課にあったエジプトをレバノン杉に喩えたエゼキエルの言葉でしょうか、それとも神の国をカラシナに喩えたイエスさまの言葉でしょうか。 (more…)

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クリスマスの慣習

By Michinori ManoNo Comments 7 Apr

※ 長坂聖マリヤ教会 週報のコラムとして書いたもの(2014/11/30,12/7,12/14,12/21,12/28, 2015/1/4), 2015/12/8改訂

○ 飼い葉桶(クリッペ/クリブ)の展示

クリッペは、飼い葉桶とそこに眠るキリスト、マリアとヨセフ、天使、羊飼い、東方からの学者、家畜たちのセットです。

この慣習は古代教会にまで遡るようですが、現在のような形になったのは13世紀頃で、イエスの歴史的、人間的な詳細への関心が高まったことが背景にあったようです。 (more…)

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教会委員の心得

By Michinori ManoNo Comments 10 Jan

長坂聖マリヤ教会の週報(1/25, 2/1)のコラムとして書いたものです。

1)神からの召しとして、受けとめること (more…)

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教会委員会の由来

By Michinori ManoNo Comments 10 Jan

長坂聖マリヤ教会の週報(1/11,18)のコラムとして書いたものです。

◆ 英語の「ベストリー」は、文字通りに「祭服室」を意味する他、そこで持たれる「教会委員会」を意味します。 (more…)

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諸聖徒日と諸魂日

By Michinori ManoNo Comments 25 Oct

※ 2014年10月19日の週報のコラム: 諸聖徒日と諸魂日(1)

教会暦の歩みは「終末」へと向かっています。この時に、私たち以前にキリストの道を歩んだ人々を記念する「諸聖徒日」を祝うことは意味深いことです。 (more…)

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フィリピン聖公会の歴史、現況と印象

By Michinori Mano2 Comments 19 Sep

レポート「フィリピン聖公会の歴史、現況と印象」をまとめました。
http://michinori-mano.net/mary/ASP2014.pdf

※ 目次は以下の通り:

フィリピン聖公会の歴史
1.1898-1900年- 戦争の嵐と共に … 3
2.初期の宣教理念 … 4
3.宣教の始まり – コルディレラ・セントラルへ … 6
4.初期の展開1 – 最初の宣教拠点ボントック … 7
5.初期の展開2 – 第二の宣教拠点サガダ … 9
6.初期宣教の終わり – サガダでの破局 … 11
7.フィリピン人による宣教へ … 13

フィリピン聖公会の現況と印象
1.現況 … 15
2.宣教事業 … 16
3.青年活動 … 17
4.教会建設 … 18
5.有機循環農法 … 20
6.伝統宗教と福音伝道 … 21
7.抱える課題 … 23

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パレスチナ・イスラエルのための国際平和週間2014 礼拝式文

By Michinori ManoNo Comments 19 Sep

「パレスチナ・イスラエルのための世界平和週間(WWPPI)」は、世界教会協議会の呼びかけで、9月21~27日に守られます。2014年度はパレスチナの政治的囚人に焦点を当てています。

- 礼拝式文(英語版): https://pief.oikoumene.org/・・・/invitation・・・/Liturgy2014.pdf
- 資料(英語版): https://pief.oikoumene.org/・・・/invitatio・・・/finalE_Book1.pdf

≪≪≪ パレスチナ・イスラエルのための国際平和週間2014 (9/21-27) 礼拝式文 ≫≫≫

◆ 前奏

◆ 祈りへの呼びかけ

司式者: 三大陸の交差点にして、次々に花開く文明、文化に養われた地、宗教、帝国、闘い、奇跡の揺籃である、中東のこの小さな地から、主イエス・キリストに従う私たちは、深く地に根を下ろした信仰から溢れ出す勇気によって力を与えられ、あなたたちの祈りを私たちの祈りと合わせるよう呼びかけます。憐れみ深い創造主に、そのすべての子らの苦しみを終わらせてくださるように祈りましょう。ことに、預言者たちと私たちの主、救い主によって約束され、普遍的な人権の法律と宣言によって保障されているはずの解放を求める、捕虜、囚人、受刑者、亡命者のために祈りましょう。彼らはあなたたちが声をあげ、叫ぶことを期待しています。「あなたは彼らを尊厳をもって生きるように創造されました。み民を自由にしてください」と。唯一なる永遠の神、三位一体なる私たちの神、父と子と聖霊の名によって礼拝を始めましょう。 (more…)

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